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あしあと

    国史跡 楠葉台場跡

    • [公開日:2025年4月24日]
    • [更新日:2025年4月24日]
    • ページ番号:51979

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    国史跡 楠葉台場跡とは

    楠葉台場跡(くずは だいば あと)は、京都防衛のために江戸幕府によって築造された淀川沿いの台場(河川台場)で、慶応(けいおう)元年(1865)に完成しました。台場とは大砲を置くための砲台を設置した防御施設のことで、幕末に欧米諸国の船が来航するようになると、各地の沿岸などに築かれました。

    高い土塁(どるい)と深い堀で囲まれた楠葉台場は、船番所(ふなばんしょ)の敷地や周囲を巡る新設の京街道(きょうかいどう)を合わせると、約38,000平方メートルを測ります。南側と西側の大坂方面にのみ「稜堡式(りょうほ しき)」という、城壁や要塞(ようさい)に外に向かった突出部(稜堡)を設け、大砲による攻撃の死角をなくし、正面から来た敵に対し両側面からの射撃(十字砲火)を可能にした西洋の築城技術を取り入れています。海から離れた川沿いに位置し、京街道を台場内に引き込んで関門(かんもん)としての機能も持たせるなど、その設計には当時の複雑な政治情勢が反映しています。

    平成23年(2011)、河川台場としては日本で唯一、遺構(いこう)が残っていることから、国の史跡に指定されました。


    楠葉台場跡(暫定整備前)

    楠葉台場跡 空撮写真(暫定整備前、平成22年撮影)

    解説案内板一覧

    楠葉台場跡では、各所に解説案内板を設置しています。

    楠葉台場跡解説案内板位置

    楠葉台場跡 解説案内板位置

    アクセス

    関連リンク