ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

現在位置

あしあと

    4月22日は創立記念日

    • [公開日:2021年4月21日]
    • [更新日:2021年4月21日]
    • ページ番号:34776

    ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

    本校の創立記念日

    昭和22年4月、戦前の陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所内の青年学校養成校跡地に、枚方市立第一中学校の前身である新制中学校「枚方市立中学校」が創立されました。

    ちなみに、陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所は、昭和13年、各種爆薬、爆弾、砲弾製造の軍需施設として建設され、その製造所内に、軍事訓練をめざすための施設として「私立枚方製造所内青年学校養成校」がありました。養成校は敗戦とともに廃校となり、この跡地に、戦後、新たな教育制度の下「枚方市立中学校」が発足したのです。

    創立当時は、国が最も疲弊していた時期であり、衣料生活の耐乏は底をつき、子どもたちの成長が9年前の同年代と比較して1年分遅れるほど厳しい状況でした。

    そのような厳しい経済状況で創設された学校ですから、校舎には天井、机、椅子もなく、運動場は畑地といった有様で、とても勉強できる状況ではなく、毎日、先生と生徒は校舎や運動場の整備に明け暮れ、何とか勉強できる程度になったのが4月22日で、その日を創立記念日と定めたと言われています。

    また、本校の校章は、7本の矢に囲まれた中学校というデザインで、戦前から枚方町にあった7つの小学校区(楠葉・殿一・殿二・山田・枚方・蹉跎・川越)を7本の矢とみたて、毛利元就の3本の矢の話のように、団結を重んじるという願いが込められていたようです。実はこのデザイン、当時の先生、生徒からの公募の中から選ばれ採用されたそうです。

    本校は、昭和26年に枚方市立第二中学校と分離をし、その際「枚方市立第一中学校」と改称され今に至ります。

    写真にある学校要覧は昭和25年頃に作成された、本校創設からの記録をまとめた冊子です。要覧の右には、創設当時の校舎や初代校長 岡村喜熊先生の写真、下は要覧のページの一部と校章です。