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あしあと

    歴史の1ぺージ

    • [公開日:2020年7月21日]
    • [更新日:2020年7月21日]
    • ページ番号:31196

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    「武将の石像」

    本校の正門を入って、右に記念会館がありますが、その脇に武将の石像があります。

    一体、誰の石像でしょう。

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    答えは、鎌倉~南北朝時代の武将、楠木 正成(くすのき まさしげ)公です。

    この方であると特定される根拠は、像の正面に掘られた家紋です。この家紋は「菊水の紋」と言われる有名な家紋で、忠誠を誓った後醍醐(ごだいご)天皇から賜ったものとされ、天皇家の紋章に用いられている菊に、流れる水をあしらっています。

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    さて、この像は「桜井の別れ」という有名な一場面です。

    正成が湊川の戦いに赴く際、正成は数え11歳の嫡子、正行を呼び寄せて「お前を故郷の河内へ帰す」と告げますが、正行は「最期まで父上と共に」と懇願します。しかし、正成は「お前を帰すのは、自分が討死にしたあとのことを考えてのことだ。帝のために、お前は身命を惜しみ、忠義の心を失わず、一族郎党一人でも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ」と諭し、形見にかつて帝より下賜された菊水の紋が入った短刀を授けたというものです。

    戦時中、全国各地の小学校などに設置された楠公像は、国家の国威発揚に使われました。金属の拠出でなくなった学校もありますが、2代目として石像の形で、今でも残っている学校もあります。

     敗戦とともに「悪しき戦前の象徴」「軍国主義を想起させる」とタブー視され、撤去されたところもありましたが、そのような風当たりの強い時代があったにもかかわらず、今でも残っている像は、逆に大変貴重な歴史・文化遺産として、過去の事実を証言するとともに、その精神性の象徴として、多くの日本人から尊敬されたということも、後世に残してくれるものとなっています。

     ちなみに、石像としても、枚方市内45の小学校で現存するのは、本校だけのようです。

    なお、昭和12年(1937年)9月1日に制定された本校の旧校歌の1番の歌詞には、楠公像の銅像がでてきます。
    現在の校歌は、昭和28年10月20日に挙行された創立80周年記念祝典で記念事業の第一として制定が計画されて作られました。

     

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