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あしあと

    禁野火薬庫爆破に関する殉職慰霊碑をご紹介します

    • [公開日:2020年2月28日]
    • [更新日:2023年9月11日]
    • ページ番号:27686

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    殉職者慰霊碑をご存知ですか

    今では想像がつきませんが、中宮周辺一帯には、旧陸軍の砲弾や爆弾を製造する工場や兵器用火薬庫がありました。

      81年前の1939(昭和14)年3月1日、禁野火薬庫で砲弾解体中に引火し29回に及ぶ大爆発が発生。陸軍の報告書によると、死者94名、負傷者602人、家屋の全半壊焼821戸、4400世帯以上が被災する大惨事となりました。この禁野火薬庫の爆発に駆けつけ、消火作業等で殉職された消防団員15名及び町議員1名に対して、消防人の不滅の功績を讃え哀悼の意を表すとともに、郷土防災の精神を後世に語り継ぐため、1940(昭和15)年3月1日に殉職者慰霊碑が建立されました。

      枚方消防団は、毎年3月1日の平和の日にちなみ、同慰霊碑の清掃活動を行っています。本年は2月24日小雨の降る中、慰霊碑の清掃(樹木の剪定や下草刈り)を行い、山本団長をはじめとする消防団幹部は、殉職者に黙とうを捧げ、「自分たちの街は自分達で守る」郷土愛護の誓いを新たにしました。

    この慰霊碑は、市立ひらかた病院の近くにある「中宮本町の禁野保育所南側」にあります。3月1日の「枚方平和の日」に一度お参りされては、いかがでしょうか。

      

    正面

    慰霊碑正面

    清掃

    清掃の様子

    参集

    参集した消防団員

    黙とう

    黙とうの様子

    慰霊碑に記されている殉職者指名(順不同)

    慰霊碑

    慰霊碑背面

    <消防団員15名>

    茨木 安三・小笠原 慶五郎・小路 政次郎・出口 義三・坂本 彌市・滝川 義秀・

    西川 重吉・丸山 利吉・門田 豊繁・竹内 丑五郎・今堀 春三・余膳 繁一郎・

    森本 藤松・山中 道雄・森崎 丑松

    <町議員1名>

    山本 徳次郎