七夕伝説ゆかりのまち・枚方市
- [公開日:2022年9月15日]
- [更新日:2025年1月27日]
- ページ番号:24734
ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

七夕伝説と枚方市

天野川流域の枚方市と交野市の一帯は、かつて「交野ヶ原」と呼ばれ、桜の名所として、また平安貴族の狩り場として知られていました。当時の貴族は、天野川の川砂が白く光って見えることから、天上の天の川になぞらえ、「七夕」を題材にした数多くの歌が詠まれました。「伊勢物語」には「狩り暮らし棚機津女(たなばたつめ)に宿借らむ、天の河原に我は来にけり」と、在原業平がこの地を訪れた際に詠んだ歌が収められています。また、「七夕」にまつわる地名や名所が数々見られます。
枚方市では、地域資源である「七夕」を市内外に広く発信するため、「七夕伝説ゆかりのまち・枚方市」のPRや郷土愛の醸成に向けたさまざまな取り組みを進めていきます。
~七夕伝説について~

★七夕物語
天の川の東に天帝の娘・機織(はたおり)姫が暮らしていました。機織姫は、父の命令で毎日休むことなく美しい布を織り続けていました。
来る日も来る日も機織だけに明け暮れている娘を天帝は不憫に思い、天の川の西に暮らす牛飼いの牽牛(けんぎゅう)と結婚させました。
その後、機織姫と牽牛は幸せな生活を送っていましたが、仲良く楽しい日々に夢中となり、まったく働くことを忘れてしまいました。怒った天帝は、二人の仲を裂き、年に一度七月七日の夜だけ天の川を渡って会うことを許しました。それから二人は、七夕の日を心待ちにしっかりと仕事をしながら過ごしたということです。
これが一般的に伝わる七夕物語です。地域によって少しずつ違いはあるものの「七夕」は天空の牽牛(彦星)と機織姫(織姫)との逢瀬の恋のストーリーとなっています。

★七夕伝説のルーツ
古くは中国の春秋時代(紀元前770年~同403年)に編纂された中国最古の詩集『詩経』に牽牛、織姫の話がみられ、6世紀半ばには梁(りょう)の宗懍(そうりん)が著した年間行事・風俗の記録『荊楚歳時記』(けいそさいじき)に乞巧奠(きっこうでん・牽牛と織姫が会う七夕の日に天に向けて夏野菜などを供え、七本の針に五色の糸を通して手芸の上達を祈った行事)という風習が紹介されています。
こうした物語や風習が伝承され、その後、朝鮮半島からの渡来人によって大陸の文化や技術とともにこの交野ケ原に伝えられたと考えられています。

☆交野ケ原への伝来
中国から伝承された乞巧奠と朝鮮半島の風習や祭りなどが合わさった「七夕」の原型ともいえる文化は、渡来人とりわけ百済国からの亡命貴族などにより交野ヶ原に持ち込まれたのではないかと考えられています。
交野ヶ原には川砂が白く光って見える天野川が流れ、多くの人々は天上の天の川の姿を重ねたことでしょう。この地に伝えられた七夕はさまざまな文化、風習とさらに融合を重ね、今日の「七夕」へとなります。乞巧奠は、神に供える布を織る「棚機」(たなばた)や農家の盆まつりといった日本の行事・風習と出会い合わさり、笹飾りに願い事を書いた短冊を付けたり書や歌の上達を願ったりする風習となりました。
また、牽牛と織姫の話は、交野ヶ原で語り継がれる「天の羽衣伝説」(てんのはごろもでんせつ)「別子山の鈴見伝説」(べっしやまのすずみでんせつ)などの影響も受けながら(※諸説あり)、「逢瀬」「出会い」をメインとした恋物語「七夕物語」へとアレンジされていきました。こうして「七夕伝説」は枚方・交野地域に定着し、七夕伝説ゆかりのまちとして知られるようになりました。

☆七夕スポット

取り組みについて

ひらかた七夕まつり

七夕婚活実行委員会
当実行委員会は、「七夕」を広く発信することを目的に活動を行っていましたが令和6年度をもって解散する運びとなりました。
委員を務めて頂きました日本スポーツ婚活協会や枚方市スポーツ協会、今までのスポーツ婚活イベントにご参加・ご協力をいただきましたみなさまには心から感謝申し上げます。
お問い合わせ
枚方市役所 観光にぎわい部 観光交流課 (直通)
電話: 072-841-1357
ファックス: 072-841-1278
電話番号のかけ間違いにご注意ください!