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あしあと

    ~交野ケ原への伝来~

    • [公開日:2020年2月26日]
    • [更新日:2020年2月26日]
    • ページ番号:24743

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    中国から伝承された乞巧奠と朝鮮半島の風習や祭りなどが合わさった「七夕」の原型ともいえる文化は、渡来人とりわけ百済国からの亡命貴族などにより交野ヶ原に持ち込まれたのではないかと考えられています。

     

    交野ヶ原には川砂が白く光って見える天野川が流れ、多くの人々は天上の天の川の姿を重ねたことでしょう。この地に伝えられた七夕はさまざまな文化、風習とさらに融合を重ね、今日の「七夕」へとなります。乞巧奠は、神に供える布を織る「棚機」(たなばた)や農家の盆まつりといった日本の行事・風習と出会い合わさり、笹飾りに願い事を書いた短冊を付けたり書や歌の上達を願ったりする風習となりました。

     

    また、牽牛と織姫の話は、交野ヶ原で語り継がれる「天の羽衣伝説」(てんのはごろもでんせつ)「別子山の鈴見伝説」(べっしやまのすずみでんせつ)などの影響も受けながら(※諸説あり)、「逢瀬」「出会い」をメインとした恋物語「七夕物語」へとアレンジされていきました。こうして「七夕伝説」は枚方・交野地域に定着し、七夕伝説ゆかりのまちとして知られるようになりました。