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あしあと

    枚方市登録文化財

    • [公開日:2018年10月1日]
    • [更新日:2024年3月18日]
    • ページ番号:2900

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    市域には、50件の国・府・市指定文化財の他に、成立年代や性格などの理由により、指定には至らないものの、地域の歴史にとって欠くことのできない文化財が多くあります。

    これらの文化財を保護するための市独自の制度として、平成25年度に市登録文化財制度を制定しています。

    登録物件について詳しくは下記のとおりです。



    有形文化財

    宗左の辻の道標 そうざのつじのどうひょう

    岡本町3-4東側市道上
    時期:文政9年(1826)
    登録日:平成26年(2014)4月1日

    枚方宿内の京街道上に建つ道標で、岩船街道との分岐を示しています。

    製油業を営んでいた角野宗左の屋敷があったので「宗左の辻」と呼ばれています。

    道標には、倉治の滝へ43丁、京へ6里、八幡へ2里の距離であること、願主として4人の商人の名、そして文政9年11月に建立したことが刻まれています。

    宗左の辻
    宗左の辻マップ



    明治18年洪水碑 めいじ18ねんこうずいひ

    桜町16番地先
    時期:明治19年(1886)
    登録日:平成26年(2014)4月1日

    明治18年(1885)6月18日・7月2日の豪雨により、三矢村・伊加賀村の淀川堤防が2度決壊し、茨田郡一円を水没させ、濁流は大阪市中にもおよびました。

    洪水の悲惨さを風化させぬように翌19年に大阪府と有志により建立されました。

    大洪水の惨事を今に伝える貴重な文化財です。

    また、関連した資料は淀川資料館(枚方市新町2丁目2-13)で展示されており、淀川の洪水と改修の歴史を紹介しています。

    洪水碑
    洪水碑 マップ



    田能村直入関係資料(奥田家旧蔵) たのむらちょくにゅうかんけいしりょう(おくだけきゅうぞう)

    車塚2丁目1番1号
    時期:安政7年(1860)~
    登録日:令和6年(2024)3月1日

    1.親鸞上人枕石図(しんらんしょうにんちんせきず)…安政7年(1860)
    2.十六羅漢像(じゅうろくらかんぞう)…明治4年(1871)
    3.佛説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)…明治7年(1874)
    4.仰山臨水楼嘱目図(ぎょうざんりんすいろうしょくもくず)…明治7年(1874)

    幕末から明治期にかけて活躍した文人画家の田能村直入の書画4作品です。江戸時代に枚方宿の庄屋・宿役人を勤めた家が所有していたもので、平成10年に枚方市が寄贈を受けました。
    幕末から明治期の京街道沿いの裕福な町人の生活文化をうかがわせる貴重な歴史資料です。

    ※田能村直入:文化11年(1814)豊後国直入郡竹田(現:大分県竹田市)の出身で、文人画家の田能村竹田に師事し、詩と絵画を学びました。竹田の死後は、大坂・堺や京都を拠点に文人画家として活躍し、枚方宿の富裕な家に幾度も滞在し、宿泊や飲食のお礼として即興で制作した書画を残しています。


    十六羅漢像

    「十六羅漢像」(明治4年)
    【形式】絖本墨画淡彩



    史跡

    仁明天皇外祖母贈正一位田口氏之墓 にんみょうてんのうがいそぼぞうしょういちいたぐちしのはか

    田口3丁目291
    時期:不明
    登録日:平成26年(2014)4月1日

    仁明天皇の外祖母である田口氏の娘の墓とされ、地元で大切に受け継がれてきました。

    『続日本後紀』には仁明天皇が外祖母に最高の位である「正一位」を贈り、この付近に墓を作ったと記されています。

    田口氏墓
    田口氏墓 マップ



    民俗文化財

    三之宮神社の雨乞返礼の石燈籠 さんのみやじんじゃのあまごいへんれいのいしとうろう

    穂谷2丁目7番1号
    時期:享保15年(1730)、寛延4年(1751)
    登録日:平成30年(2018)9月1日

    三之宮神社は古くから雨乞いの神社として信仰されており、「雨乞御返禮五箇村」、「請雨御返禮」の銘のある4基の石燈籠は、江戸時代の雨乞いの返礼に奉納されたもの。江戸時代の雨乞行事を物語る貴重な民俗文化財です。


    三之宮神社の雨乞返礼の石燈籠
    三之宮神社 マップ