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学校長挨拶

[2017年4月25日]

ID:3184

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ごあいさつ

本校ホームページをご覧いただきまして、ありがとうございます。

校長の交久瀬(カタクセ)と申します。今年度で4年目を迎えました。これで第三中学校勤務は教員時代を含めると通算11年目となりました。この間、地域の方々には大変お世話になり続けております。本当にありがとうございます。

再三申しておりますが、本校の特色は、地域に支えられた学校です。毎年、地域教育協議会「すこやかiネット」やPTA役員のOB会「ほたる会」はじめ、校区コミュニティ協議会、青少年育成協議会、自治会、本校PTAの方々など、多くの方のご支援をいただき、教育活動を展開しております。

昨年度、「地域で活躍できる中学生」を育てることを、柱の一つとして取り組みをスタートしました。それが今年度、殿山第二小学校区・牧野小学校区の両コミュニティの自主防災の方々にご協力いただき、生徒全員による防災訓練をする運びとなりました。中学生が、自分の住んでいる自治会の一時避難場所から避難所である小学校まで、一人で移動困難な方の移動を補助するとともに、一部の中学生が自主防災の担当の方の指示で避難所開設の手伝いをするという訓練です。

この防災訓練を切り口に、きちっと地域のことや自治会の組織等々について理解し、彼らが大人になったときに地域社会の一員であるという自覚と責任をしっかりと持ち、地域力を回復させられる人になるよう、また現時点においては生徒自身の自己有用感を高められるよう、取組みを進めたいと考えております。

なお防災訓練は、10月21日(土)の今年度第2回目の土曜授業の日に実施予定です。地域の皆様、保護者の皆様も、是非とも訓練にご参加ください。

今年度も、さらに魅力ある学校づくりを推進するため、職員一同、精一杯がんばってまいりますので、更なるご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

今年度の三中キャッチフレーズ

「してもらう人から、する人へ ・ させられる人から、できる人へ」

今年度のキャッチフレーズです。

校長としての教育観

  今、子どもたちは、小さい頃から大人(保護者)から、あらゆるものを与えられ、指示されて育っています。遊び一つとっても、おもちゃを与えられゲームを与えられ、スマホを与えられ、一つとして自分で遊びそのものを考え、発想して遊んでいません。勉強にしても同じです。学校や塾でこうしなさい、ああしなさいと指示されて言われたことをやっている(またはさせられている)だけで、自分で考えて、こういう勉強をしようと勉強の内容や方法を自分で考えてやっている人はほんの一握りです。仮に子ども自身が遊びなどを考えてやろうとしても、危険だからそんなことをしては駄目だとか、興味を持って調べよう学ぼうと思って学校の勉強以外のことをしても、そんなことやっても入試に役立たないとか、そんなやり方では駄目だとか、周りの大人から止められたり変更させられたりしているのではないでしょうか。人間関係にしても同じです。子ども同士でもめたときに、子ども同士で解決できるように仕向けて、人間関係を築く力をつけてやるべきところに、大人がしゃしゃり出て、子どもがそこでつけられる相手を理解しようとする力や許容する力、そして相手に立ち向かう勇気等々の力を削いでいるのです。小さいときから見守り、少しの助言を与えるだけにすれば、子どもは自力で力がつけられるはずです。大人がしゃしゃり出るのは、一人ではどうしても解決できないと判断したときだけでよいのです。

 確かに、大人が与え指示していると子どもは大きな失敗もしないし、安全と大人の安心は維持できるでしょう。しかしそのことは、子どもたちの大切な成長の芽を摘み取っているのではないかと心配になります。特にこれからの急激に変化していく時代を生き抜かねばならない今の子どもたちにとって…。

 

 してもらうことに慣れると気づきがなくなります。気づきがなくなると考えなくなります。考えなくなると想像・創造することがなくなります。創造しないと自ら動くことがなくなります。自ら考えて働くこともなくなるでしょう。勉強も人から指示されてさせられていると、学校で必要な勉強をこなすだけとなり、自ら考え、発想し勉強することはなくなるでしょう。そうなると結果は同じです。誰かから指示されたことはきちっとできるけれど、自分から状況を読み取り、考え、自ら動く(働く)ことはしない。増してや、新たなことに挑戦することなどもってのほか。失敗するなどもってのほか。

  してもらい、させられるだけの人は、自分の責任や義務を感じることはありません。常に責任は他人にあります。自分が危険を冒して新しいことに挑戦することもなければ、失敗の可能性があることもしません。何か問題があると他人の責任にして、自分は不満を言っているだけです。

  してもらうことを待って、不満を言っているだけ。みんな待っているだけなので、心ある人も失敗を恐れ、自分の責任にされることを恐れ、大きく動くことができない。残るのは閉塞感のみ…。今すでに起こっているこの現象、心当たりはないでしょうか。

 

   今の子どもたちは、どうやってこれからの困難な時代に挑めばいいのでしょうか。今の子育ての仕方、今の教育方法を継続しているだけで解決するとは、私には思えません。大人の一人ひとり、特に教育に携わる人は、10~30年後の日本の姿を創造・想像し、そこに想定される課題に挑める人を育てる必要があるのです。そのためには、今、何をする必要があるのか、どんな力をつけてやるべきなのか、どんな教育・子育てをすれば良いのかを、じっくり時間を掛けて論議し、考えるべきだと思うのです。

 

   ここから、私の想像する10年~30年後の日本の社会において考えられる困難について書いていきます。

   まずは、超高齢化社会からです。すぐにやってくるのが2025年問題。そして、2040~2050年頃には、就労者が高齢者を支える負担が、今の騎馬戦型の支えが肩車型になるという問題。今のままでいくと、2040年頃には、一人の就労者が一人の高齢者を支えるような状況となります。そうなれば、就労者の税負担は相当なものになるでしょう。国は、高齢者の定義を変えて、就労の定年制をなくす方向で動いています。

   これによって、見かけ上の就労者が高齢者を支える比率は減少し、今とあまり変わらない状況になるとのことですが、そんなに簡単にいくのか私には疑問です。出生率が2以上にならなければ人口の減少は止まりません。少子化が現状維持であれば、絶えず就業人口は減り続けるからです。どこかで出生率を上げていく必要があります。しかし出生率が2以上になると、就業前の支えられる人口が増加するため、就労者と非就労者の割合は、先ほど述べた今とあまり変わらない状況になるという定義は崩れます。肩車方に近くなります。しかも後期高齢者が爆発的に増える2025年以降、そして就労人口と高齢者の割合が1:1に近くなる2050年の状況を考えれば、仮に75歳までを就労者と定義しても、実際に若い世代と同様に働けるわけではなく、年配者の病気の率も当然高くなります。また、今の子育てや教育の形態が持続されれば、私は引きこもりや社会適応できない人口が増えると思っています。未婚者増もあるでしょう。そんな負担を見ながら、若い人たちが自分たちにさらに負担増となる子育てを2人以上にしていけるでしょうか。負担が未来より少ない現在においてすら、出生率が1.5人弱だというのに…。

   そうすると、この解決には海外から人を受け入れる必要が出てきます。これはグローバル化が進む世界情勢のなかで避けて通れないでしょう。現在でも大手の会社や大学などで、優秀な人材として中国人やインド人の雇用を増大させています。また海外留学生などのかたちで中小企業、介護福祉関係の職場や農業で受け入れている外国からの人は、環境や待遇の劣悪さで課題となっています。

   そんな状況で、今の子ども達が大人になったときに、海外から人を受け入れて上手くやっていけるでしょうか。前述のように、小さい頃からしてもらうことに慣れ、指示されたことをさせられて育ってきた人が、海外からやってきた自分で考え、自分の強い意思で行動する人を相手に、対等にやっていけるでしょうか。相手の文化や習慣を理解し受け入れ、共存していけるでしょうか。そして、当然のことですが、今すでに大人である私たち自身にもそれが求められるのです。地域自治組織をはじめ地域社会の形成力が弱体化しているなかで、果たしてできるのでしょうか…。

   これを実現するには、相当に高い人権意識と人間関係の構築力、地域社会形成力が求められます。さらには英語等の会話力も求められます。そして何より大切なのは、自身の考えをしっかりと持ち、それを相手に伝える技術と心の強さ、そして相手の事を聞いて理解する力と寛容性。これらをしっかりとつけておかないと海外からの人を受け入れるのはとても困難なこととなります。それを子育てでも学校教育でもつけていかないと駄目なのです。

 

   最後に、人工知能の発達に関してです。これは、前述の超高齢化社会やグローバル化に伴う海外からの移民の受け入れにも大きく絡んできます。日本の経済の維持にも欠かせないものとなるでしょう。今後20~30年のすべての鍵は、人工知能が握っていると言っても過言ではないでしょう。18世紀に興った産業革命は、現在、第四次産業革命(第三次との考え方もあり)の中にあるとされています。

   第一次は蒸気機関、第二次は電気、第三次はコンピュータ、第四次は人工知能である。(第三次の考え方では、第二次の電気がなく、第一次を機械化と捉える)

   私は、この人工知能による変化が、第一次産業革命以上の革命になると考えています。人の社会生活の営みをはじめ、教育に与える影響も計り知れないものになるでしょう。

   グーグルの人工知能部門総指揮者であるレイ・カーツワイル氏によると、2029年には人工知能が人間の知能を超え、2030年代には思考などの高次タスクを担う脳の新皮質を、直接インターネットのクラウドにつなげるようになるとのことです。これは何を意味するのでしょう。実現するかどうか(倫理的意味において)は別にして、もし実現すれば、今の覚えるだけの学習はそのほとんどが不要となるのではないでしょうか。次期指導要領の内容をどれくらい理解し掘り下げた指導方法を工夫できるかにもよりますが、今後、教科教育の内容や方法は全く異なったものになるでしょう。答えの存在するものは、すべて人工知能が人の脳に直結して答えを出してくれるわけですから。人間の脳とクラウドを直結することが安価でできるようになれば、人類の生き方は全く異なるものになります。

   そして人工知能の発達は、日本の先の超高齢化社会における就労者と非就労者の割合(肩車型社会)を解消する最大の切り札ともなります。これまで人が行ってきた仕事の大半を、人工知能に制御された機械が行ってくれるからです。人工知能を操る人が僅かな人数で大変な生産ができるようになるからです。知的労働にしても同じです。これまで時間を費やして何人もの識者がそれぞれの専門分野を調べ、判断してきたこと(すでに弁護士や医師の判断や診断の一部には人工知能が使われている)を、僅か数秒でやってしまうわけですから…。人間社会の営みは、かなりの部分が人工知能によって制御されることになるでしょう。

   ここにおいて、決定的に注意しなければならない問題があります。それは、人工知能の所有と利用方法、それを司る限られた人間の高度な倫理観です。特に軍事面における人工知能の使われ方や人工知能の開発者等による経済的独裁者等が出たときの世界共通の対応方法などが課題となるでしょう。(これらの過程で今の「国」という概念はなくなっているかもしれませんが…)

   いずれにしても、人工知能が世界に行き渡るまでの過程において、全世界の一致した高度な倫理観を持った戦略(極めて困難)ができない限り、貧富の差は計り知れないものとなり、人の意識や考えを人工知能によって制御し、さまざまな分野で独裁者的存在になろうとする人がでてくると私は思っています。そして、人工知能を全人類の安全安心のために利用できるようになるまでに、今の人社会の形態は、跡形もないくらい変化していることでしょう。その形態はさまざまなものが予想されるためここでは記しませんが、その過程を経ていくときに必要になるであろう人としての力・能力が何であるかが、これから子ども達に育ててやるべきものとなります。

   私は、何よりも大切なのは、これまでの常識では想像できない変化著しい中で、流された情報を鵜呑みするのではなく、自身の力で課題を見出す能力だと思います。課題が見つけられなければ、他の能力も活かすことができないからです。先に述べたとおり、してもらう人やさせられている人は、自らの力で課題を見つけることはできません。今の幼少からの子育てを、一から見直して見る必要があると思います。それも大至急で…。

 

 

 それでは、必要になるであろう力・能力について、私の考えを記していきます。

  ・高い人権意識と倫理観、責任感

  ・考える力と自分の考えをしっかり持つこと

  ・情報処理能力、課題発見能力

  ・発想力、企画力と実行力

 ・社会形成力(地域社会の一員であるという自覚と責任)

 ・コミュニケーション力(特に英会話力)

 ・寛容性と思いやりの心

 ・高い数学力とプログラミング技術(一部のみ)

 ・心の強さと柔軟性及び持続性

 ・夢を見出せること(既成概念から見出す夢ではなく、自ら夢を描ける心)

 

  上記の能力をつけるためには、どのような教育が必要か、現在の学習指導要領(新学習指導要領も含め)のなかでこれらの力をつけるための授業の工夫、そして本校の教育活動のあらゆる場面を捉えてこれらの力を子ども達につけていけるよう、教員全員で考え出しあい工夫していく所存です。私はこれが教育イノベーションの糸口の一つになればと考えています。

 

 教育は、学校だけでできるものではありません。保護者の皆様、地域の皆様、子ども達の未来のために、彼等が必要な力をつけられるよう、「ともに考え、ともに育てる」という視点で、ご支援いただきますようお願い申し上げます。