広報ひらかた

コシノジュンコさんと語る
まちの未来をつくる 文化の力

新春対談企画

枚方市長 伏見 隆 × デザイナー コシノジュンコ さん
in 総合文化芸術センター

 2025年10月に閉幕した大阪・関西万博は、数多くの文化に触れる機会を私たちに与えてくれました。今年の新春対談は、デザイナー・コシノジュンコさんを迎え、大阪・関西万博、そして55年前に大阪で開かれた大阪万博の両方を振り返りながら、私たちが未来をつくるために大切な考え方とは何かについて語り合います。

 問合わせ先、広報プロモーション課 電話841-1258、ファクス846-5341


コシノジュンコさん プロフィル

 大阪府立岸和田高等学校から文化服装学院に進み、デザイン科在学中に新人デザイナーの登竜門といわれる装苑賞を最年少の19歳で受賞。以後デザイナーとして活躍。1970年大阪万博では3つのパビリオンのユニホームをデザイン。2011年11月、キューバ国家評議会からキューバ友好勲章を受章。2021年5月、日本とフランスの文化交流に大きく貢献したとして、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエを受章。2025年の大阪・関西万博では大会運営に助言するシニアアドバイザーを務めたほか、ボランティアスタッフのユニホームを監修するとともに、タカラベルモント社の展示スタッフユニホームもデザイン。同年11月、文化勲章を受章。岸和田市出身。

史上最年少で装苑賞を受賞

 ファッション誌『装苑』の創刊20周年を記念して1956年に創設されたファッションコンテスト。新人デザイナーの登竜門とされ、これまで髙田賢三さん(KENZO)、山本耀司さん(ヨウジヤマモト)なども受賞。19歳での装苑賞受賞は最年少記録で、2026年で100回目を迎えるが、現在でも破られていない。

▲第7回装苑賞受賞作品のコバルトブルーのコート(2025年10月2日撮影)


万博を2度できたことが
大阪発展の証し
市長

 本日はお忙しい中、枚方に足を運んでくださりありがとうございます。この度は文化勲章の受章、誠におめでとうございます。


コシノジュンコさん(以下、コシノ)

 ありがとうございます。本当にこれ以上ない、素晴らしい勲章をいただくことができました。私の場合、きっかけはファッションですけれど、それだけにとどまらずデザイナーとしていろいろなジャンルにも挑戦してきたことが、文化の発展につながったと評価していただけたのかなと思いますね。デザインって単純な言葉ですけれど、ファッションのことだけでなく生活全体、つまり文化的な事柄をいかに美しく合理的にするかということなんです。文化勲章は夢のまた夢でしたから、本当にうれしいです。


市長

 ニュースで知ったときは、私もとてもうれしくなりました。先日、大阪・関西万博の閉幕日にお会いしましたが、大阪・関西万博といえば、コシノさんは開催の6年前からアドバイザーとして関わっておられました。また、1970年に大阪で初めて開催された万博でもパビリオンのユニホームを手掛けられるなど、大阪での2度の万博に携わられています。そんなコシノさんが、それぞれの万博で印象に残っていることはありますか?


コシノ

 1970年の万博は「まっさら」でした。世界とのつながりをどのようにすればいいかもわからない時代で、とにかく何をやっても新しい。私がユニホームをデザインした3つのパビリオンはコンセプトも依頼した人も全く違ったので、とても大変でしたけれど、同時に全てが挑戦と発見の場でした。夢中で取り組んでいましたね。


市長

 私は当時2歳でしたが、映像を見るだけでも当時のエネルギーが伝わってきます。2025年の万博はいかがでしたか?


コシノ

 今回は「大人」の万博だと思います。大阪で2度目の万博を開催できたことこそが、55年間、人やまちが発展してきた証拠で、とても大きなことだと思います。2度の万博を経験できた都市は多くはありませんから。ただ、万博そのものの在り方は大きく変わっていないんです。万博の面白さは、世界の文化が一気にやってきて、公平に見せられること。万博会場では世界の境界線はありません。安全面で実際には訪れることが難しい国の文化にも気軽に触れられる。そうすると、万博会場のように世界も平和になるんじゃないかって思わせてくれるんです。


市長

 さまざまな国の文化を体験することで、海外との距離が近くなったような気がしますよね。私も、友好都市のオーストラリア・ローガン市長とパビリオンを一緒に回って、インドネシア館ではインドネシアの方も含めて3者で交流しました。他にもチェコは、これまで関わりはなかったのですが、万博のため来日されているときに知り合ったんです。今後も、このつながりを大切にして、例えば市内企業と海外企業の経済交流など、さまざまな機会をつくっていきたいと思っています。


理屈ではなく
体験できる機会を
コシノ

 世界とつながった経験は、特に子どもたちにとって、すごく大きいと思うんです。例えばヨルダン館では、現地の砂漠の砂を実際に持ってきて、来館者はその上を歩くことができた。そういうことを子どもの頃に体験すると、将来ヨルダンに行ってみようとか、世界を身近に感じるようになるかもしれない。他にも建築を見て建築家になりたいとか、何かに目覚めるきっかけがたくさんあるのが万博なんです。


市長

 本当にそう思います。枚方市からも、学校単位で万博に行くだけでなく、ブラスバンドの演奏や廃材を使って作った未来のまちの展示など、子どもたちが万博会場の中で表現する取り組みをたくさん行ってきました。また、多くの市民や事業者との共創による地域経済活性化やまちの愛着向上に取り組んだ「ひらかた万博」では、市の地域資源を生かし創出した特産品や、市内の盆踊りチームが披露する河内音頭の源流「交野節」など、市の魅力を万博会場から世界に向けて発信したんです。そういった企業や団体を支援する市の取り組みが評価されて、博覧会協会が行うアワード企画(※)では自治体で唯一「共創パートナー賞」を受賞することができました。子どもだけでなく大人も、万博での体験で何かに目覚めてもらえていたらうれしいですね。
 ※万博のテーマに沿ったプログラム「TEAM EXPO 2025」で実施された投票企画「みんなで選ぶ!TEAM EXPO」


コシノ

 またこれからの55年につながる、大きな経験になったと思いますよ。


市長

 子どもの頃の経験は、特に将来に影響するとお話しいただきましたが、コシノさんはご自身の幼少期の経験で、今につながっていると感じることはありますか?


コシノ

 私はやっぱり、だんじり祭りですね。高校生の頃までだんじりの綱の先頭を持って走っていました。今でもその勢いみたいなものが、体に刻みこまれています。昔、パリで仕事をしているときは、毎年行われる大きなイベントがだんじり祭りの日程と重なっていてずっと行けなかったんです。そんなある年、仕事がうまくいかず、とても落ち込んじゃって。思わず実家に電話をして、太鼓や笛、お囃子を電話越しに聞かせてもらったら涙が出てきてね。それくらい、私にとってだんじり祭りは今も昔も大切なものなんです。市長は幼少期の頃は何かに熱中していましたか?


大阪での2度の万博とコシノジュンコさんが
手掛けたユニホーム

 1970年の大阪万博では、建築家の黒川紀章さんや音楽家の一柳慧さん、当時通商産業省の堺屋太一さんなどから依頼を受け、3つのパビリオンのユニホームを担当。流行の最先端だったミニスカートやパンタロンなどをデザインに取り入れた。

▶写真左からタカラ・ビューティリオン、ペプシ館、生活産業館のユニホーム


 2025年の大阪・関西万博では、前回に引き続きタカラベルモント社の展示スタッフのユニホーム(右写真左端)をデザイン。シルバーを基調としたユニホームは「未来」をイメージしたもの。また、市内企業が出店したレストランやボランティアスタッフが着用するユニホーム(右写真中央および右端)も監修。性別を問わず誰もが似合う機能的なデザインに仕上がった。

※写真はいずれも市主催「コシノジュンコの万博デザイン展」で2025年10月2日に撮影


市長

 私は小学生の頃から野球に熱中していました。今でもスポーツは全般的に好きですね。子どもの頃にしていた好きなことは、大人になっても変わらないなと思います。


コシノ

 そうですね。でも、好きなことでなくても、子どもの頃の経験は大人になったときにすごく影響しますよ。私の母は洋裁店を営んでいましたが、そのお客様のところにたくさん習い事に行きました。お琴とかお茶とかね。母が勝手に決めるので、好きも嫌いもなく、長くは続きませんでしたが、それでも当時の経験で身に付いた基礎が、大人になってからすごく糧になっていると感じます。今考えたら本当に良かったですね。


市長

 感受性が強い子どもの頃の経験は、とても印象に残りますよね。


コシノ

 そうですね。万博もそうですけれど、子どもの頃は特に理屈ではなくて体験なんです。いろいろな体験をさせてあげると、自分の好きなものに目覚める。だから何でもやってみること。それと、大人が子どもを褒めてあげることも大事ですね。私は昔から絵を描くことが好きですけれど、そのきっかけは学校の先生に「それいいね」って褒められたことなんです。褒めてもらったときにポンポンと肩をたたかれた感触が、今でも残っている。それがずっと自分の自信になっているんです。


自分の中に
ブレない芯を持つこと
市長

 絵が好きだというお話がありましたが、高校卒業後は東京の文化服装学院に進学され、19歳のときにはファッションデザイナーの登竜門とされる装苑賞を受賞されていますね。


コシノ

 絵が好きで続けたかったし、実家の洋裁店は姉が継ぐものと思っていたので、当初は服飾の世界に進むつもりはなかったんです。けれど運命みたいなもので、いろいろな人の縁が重なってファッションの世界に進みました。そうしたら上京してすぐ、19歳で装苑賞をいただくことができて、それが自分の中でもとても大きかったです。肩書ができたことで仕事が来るようになった。20歳のときには、自分でもプロだと思うようになっていました。


市長

 本当に若いときからご活躍されていたんですね。その後、活躍の場を海外にも広げられていますが、パリに初めて行かれたのは何歳のときですか?


コシノ

 24歳くらいのときですね。当時はもう、コシノ家は家族全員ライバルで競争でしたから。誰が最初に海外で仕事をするかってね。


市長

 お母様とも競争されていたんですね!同じ業界に身を置くコシノ家らしいエピソードですね。本当に長く第一線でご活躍され、今なお走り続けておられますが、お仕事をされるうえで、一番大切にされてきたことはどのようなことなのでしょうか?


コシノ

 ブレないことですね。いろいろなことをやる中でも、自分に芯がないといけない。私の場合のそれは絵ですね。アートとしてだけでなく、ファッションの仕事も、まずはデザイン画から始まりますから。だから、小さい頃にたくさんの経験をして、いろいろな人に出会って、何かに目覚めることがすごく大事だと思うんです。


新しい発想に大切なのは
動くことと遊び心
市長

 実はコシノさん、最近はお仕事で枚方にも何度か訪れてくださっていますよね。枚方には、どのような印象をお持ちですか?


コシノ

 枚方といえば七夕でしょう。天野川とかがあって、エレガントですよね。


市長

 伊勢物語にも、在原業平が天野川流域で詠んだ歌が残っているんですよ。文徳天皇の第一皇子である惟喬親王にお供をして、枚方へ狩猟に訪れたときに詠んだ歌です。歴史のある川なので、天野川はもっと親しまれる川にしたいと考えているんです。他にも、別荘の渚院は桜がとてもきれいで、渚院で詠んだのが「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という桜の歌です。


コシノ

 有名な歌ですよね。枚方といえば、あとは菊人形ですね。菊人形は今はやっていないんですか?


市長

 ひらかたパークでの大菊人形展は終わってしまったのですが、今は市民の方々が技法を受け継いで、市役所前の公園などで毎秋開催している「ひらかた菊フェスティバル」で展示しています。


コシノ

 生きた花を服に見立てて展示するなんて、なかなかない発想ですよね。枚方はそういう面白い発想を取り入れられる地盤があるところがとてもいいと思いますよ。歴史や文化を大切にすることで、未来など何かにつながるものができてくる。新しい発想でどんどんやっていくといいのではないかと思います。


市長

 コシノさんはこれまで、たくさんのデザインやファッションを生み出してこられました。新しい発想をするために、大切にしていることはありますか?


コシノ

 自分がまず動くことですね。机とペンがあるから何でもできるわけではないでしょう。遊びの中からも生まれてくるものって結構多いですよ。1996年に私はキューバでファッションショーをやりましたけれど、当時の日本ではキューバはほとんど知られていない国だったんです。ところがパリでは、カリブ海にあるキューバは夏にバカンスに行く国だったんです。実際にキューバに行ってみると音楽とダンスが盛んで、すぐにここではきっとすごいショーができる!と感じ、開催に向け動きました。実際、とても素晴らしいショーができて、今でも大好きな国です。デザインでもなんでも、遊び心が大切ですよ。


市長

 遊びの中から、仕事につながることが見つかることもあるんですね。私も日々の生活をもっと大切にします。面白いまちにするためには、貪欲にいろいろなことに取り組んでいかなければなりませんね。


多様な文化が出会うことで未来につながる
市長

 最後に、より良い枚方市の未来をつくるため、行政が大切にしていくべきことについて考えをお聞かせいただけますか。


コシノ

 枚方はちょっとお堅い印象があります。型にはまりすぎていたら、面白くないですよ。アート性のある世界を目指して、個性をもっと引き出せるようにしたらどうでしょう。たくさんの個性が出会えば、爆発的に面白くなります。そのためにはポイントになる場所があるといいですね。この総合文化芸術センターはとてもいいと思います。何度か来ましたけど、立派なホールもあるし、音もとてもいいですよね。


市長

 ちょうど今日は、市内の小学生がセンターのホールでコーラスの発表をしていたんです。このホールは、有名なアーティストが公演するだけでなく、市内の芸術家や子どもたちが表現できる場にもしたいんです。


コシノ

 万博をきっかけに久しぶりに大阪で仕事の縁ができましたけど、大阪はやっぱり面白いまちです。数えきれない要素を受け入れる力がある。まちづくりは仕切り過ぎず、多様性をフェアに受け入れることが大切だと思います。そのまちの歴史や文化も大切にしながら、多様な文化が出会うことで、未来につながるものができていくのではないでしょうか。


市長

 いろいろな人との出会いを大切に、愛着をもってもらえるまちになるようこれからも取り組んでいきます。本日はありがとうございました。コシノさんもぜひ、また枚方に来てください。


コシノ

 枚方を何度か訪れるうちに、すごく心の距離が近くなった気がします。今度、ひらかたコレクション、略して「ひらコレ」とかやってみましょうか。


市長

 それは面白い!ぜひお願いします!


コシノジュンコさんの本・絵画を中央図書館で展示します

【展示期間】
1月6 日㈫~12日㈷(開館時間午前9時30分~午後7時、土曜・日曜、祝日は午後5時まで。金曜休館)、中央図書館4階。無料。展示している書籍は館内でのみ閲覧可。直接会場へ。

▲11月~12月に生涯学習交流センターで展示していた時の様子

迷いなく色紙を描き上げるコシノジュンコさん