広報ひらかた

令和4年8月1日
枚方市は市制施行75周年

 昭和22年8月1日、府内12番目の市として誕生した枚方市は今年で市制施行75周年を迎えました。人口約4万人だったまちは大阪のベッドタウンとして発展し、現在は約40万人を誇る大都市に。懐かしの写真とともに枚方の変遷を振り返りましょう。

 問合わせ先、広報プロモーション課 電話841-1258、ファクス846-5341


枚方市75年のあゆみ

あの頃の枚方、最近の枚方

1947年 昭和22年

府内12番目に市制施行当時の人口は4万人


1955年 昭和30年

津田町を編入合併


国道1号線寝屋川との市境
昭和32年
令和4年

▲両側には平野が広がっていましたが、今では店舗や住宅がたくさん並んでいます。

文化財課市史資料室提供


1962年 昭和37年

 香里団地は郊外型大規模住宅のさきがけで、当時東洋一のマンモス団地と言われていました。ケネディ大統領の弟で当時の司法長官ロバート・ケネディ夫妻(写真中央)も視察に訪れたほど。

文化財課市史資料室提供


1970年 昭和45年

人口が20万人を超える


1972年 昭和47年

 くずはモール街がオープン。広場には機関車「デゴイチ」が2004年のリニューアルまで飾られていました。くずはモールといえばこの風景という人も多いのでは。

文化財課市史資料室提供


1982年 昭和57年

非核平和都市宣言


枚方市駅前(北側)
昭和58年
令和4年

▲今も昔もにぎわいのある場所です。

文化財課市史資料室提供


1989年 平成元年

「枚方市平和の日」制定


枚方市駅前(南側)
平成4年
平成30年

▲国内大会3冠を3度達成したバレーボールチーム・パナソニックパンサーズの優勝パレード。

文化財課市史資料室提供


1995年 平成7年

人口が40万人を超える


2014年 平成26年

全国43市目の中核市に


2018年 平成30年

大阪北部地震で震度6弱を観測
台風21号が直撃


2019年 令和元年

テーマソング「この街が好き」完成


2022年 令和4年

市制75周年を迎える


市制75周年記念対談

枚方市長 伏見 隆

バイオリニスト 五嶋 みどり


◆ごとう みどり

 11歳で渡米し、ニューヨーク・フィルとの協演でデビュー。研ぎ澄まされた技術と繊細かつ優美な演奏スタイルが多くの人の心を掴む。音楽を通して文化・芸術の振興と子どもの健全育成などを目指し、世界各地で「本物の音楽」を届ける活動にも注力している。

子どもたちに本物の音楽を届けたい 彼らの未来を豊かにすると信じて

 6月18日、市制施行75周年記念事業として市出身の世界的バイオリニスト・五嶋みどりさんとむらの高等支援学校・茨木支援学校の生徒との演奏会が総合文化芸術センターで開かれました。市は、昨年11月に五嶋さんが代表を務める認定NPO法人「ミュージック・シェアリング」と連携協定を結んでおり、その事業の一つとして今回のイベントが実現。五嶋さんの音楽活動への思いや枚方の思い出を伏見市長と語り合いました。

 問合わせ先、文化生涯学習課 電話︎841-1409、ファクス841-1278


音楽がそばにあるのは当たり前ではないから
市長

 音楽の輪を広げ、子どもたちに本物の音楽に触れる機会を作っていただきありがとうございます。活動への思いを聞かせてください。


五嶋さん(以下五嶋)

 まずは市制施行75周年おめでとうございます。幼少期を過ごした枚方にこうして帰ってこられたことをうれしく思います。
 私は小さい頃からバイオリンと音楽が常に近くにある生活でしたが、渡米した80年代のアメリカは音楽教育を減らす方針で、音楽が身近にあることは決して当たり前ではなく、幸せなことなのだと気づきました。演奏の場や音楽家らと交流する経験から多くのことを学んだ私は、「音楽をまちや学校に戻す、教育に織り込む」ことを目標に、1992年にニューヨークで「みどり教育財団」を立ち上げ、東京支部も設立しました。それが現在の「ミュージック・シェアリング」です。設立から今年で30年が経ちます。


市長

 6月8日に開催されたひらかた子ども発達支援センターでの演奏会では、子どもたちが五嶋さんの演奏に合わせて指揮者のように体を動かしたり、自由に踊ったりしていました。一人一人、感じ方や表現の仕方が違っていていいなと思いました。


五嶋さん

 音楽を聴いて自然な形で反応してくれるのはうれしいことですね。聞こえてきた音を自然に表現することこそ、本当の意味での"音楽"です。あらゆる可能性を秘めた、見えない・想像できないパワーを持っている大切なもの。ミュージック・シェアリングとの活動を通して音楽を聴いたり感じたことを発表したりする経験は、今すぐ、あるいは10年後や15年後に彼らの生活をとても豊かに感じさせてくれるのではないかと思っています。
 演奏とは、自分の中で感じていることや自分の手で音楽を作り上げること。自分の中のものが外に出ていく経験、それが一生の友になるかなと。枚方市が音楽を大切に思い、今回のような企画を実現していただけるのは大変ありがたいことです。


市長

 五嶋さんの演奏や活動に触れることで、市民の夢や誇りを育みたいです。また、75周年を迎え、これからの枚方を担う子どもたちの無限の可能性を広げるきっかけになることも願っています。


誰でも上がれるステージを。その夢が枚方で叶った
市長

 以前、むらの高等支援学校で、生徒とミュージック・シェアリングの皆さんが演奏会に向けて練習に取り組まれているところにお邪魔しました。どの子もすごく楽しそうでしたね。少し緊張していた様子もありましたが、良い経験になったのでは。うまくいかないことも大切な経験で、そうやって成長していくのでしょうね。やっぱり子どもたちが輝いている姿や、若者が成長していく姿を見るのはうれしいです。


五嶋

 これまでコンサートホールで支援学校の生徒たちと演奏会をしたいと思っても、舞台裏まで車いすに配慮されたところは少なくて、実現は簡単ではありませんでした。だから今回、むらの高等支援学校や茨木支援学校の皆さんと一緒にステージに上がれることは、私にとって客席で聴いてもらうよりもすごくうれしいこと。子どもたちが本番に向けて準備をしている姿は見ていて本当に幸せです。今までできなかったことが、故郷・枚方で叶いました。


市長

  枚方市は誰でもやりたいことにチャレンジできて、自分らしく輝ける、そんな街にしたいですね。


久しぶりの地元枚方市駅周辺を巡って
五嶋

 リハーサルの合間に枚方市駅周辺を何度も歩き回って、素敵な街だなぁと感じましたね。大きなデパートだけでなく、昔ながらのお米屋さんやお味噌屋さんなどもあるのがとても魅力的です。


市長

 駅の近くに歴史あるものから新しいものまで揃っていますよね。この場所で営まれてきた生活や文化などの歴史は、いろんな物語があってすごく面白い。ですが市民にとっては当たり前になってしまっていて、文化や芸術を通して、知って楽しんでもらう機会をいつか作りたいなと考えています。
 ところで五嶋さんは11歳まで枚方で過ごしていたそうですが、バイオリンの練習場所も枚方でしたか?


五嶋

 主に楠葉の自宅で練習していました。近所の風景や、バスに乗って駅まで出たことを思い出しますね。駅前にあったスーパーに行ったこともよく覚えています。その樟葉駅も大きく変わりましたよね。


市長

 くずはモールがリニューアルして、景色はだいぶ変わりましたね。
 いよいよ来年1月18日にはこの総合文化芸術センターで五嶋さんのリサイタルが開催されます。チケットは10月8日から販売開始です。私も大変心待ちにしています!生まれ故郷の枚方で演奏する思いをぜひ聞かせてください。


五嶋

 小さい頃、コンサートは電車に乗って遠くまで行かなければいけないものでした。それが枚方に総合文化芸術センターという素晴らしいホールができて、さらに支援学校の皆さんと一緒に演奏したホールで次は自分が演奏するなんて、とても感慨深いですね。


市長

 市民の皆さんにとって、枚方出身の五嶋さんは音楽以外のつながりも感じられる存在だと思います。素晴らしい演奏を楽しみにしています。


五嶋

 ありがとうございます。来日するピアニストに、枚方のお気に入りの場所を案内するのも楽しみです!


▲6月8日、ひらかた子ども発達支援センターでの演奏。

▲6月18日の演奏会での一幕。一体感が伝わる。