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教育委員会委員の所感(平成26年8月27日 教育委員会協議会)

[2014年9月30日]

ID:1886

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記虎敏和 委員長

この時期の教育委員としての活動報告は特にありませんが、この夏休みに枚方市の小中学生が多方面にわたって活躍していると聞いています。機会がありましたら教えていただければと思います。よろしくお願いします。

また、個人的な話なのですが、この時期、合宿や指導者研修講習会に参加した際にさまざまな分野で活躍している方々と出会う機会があります。そのうちの一人に、スキー競技のエアリアルという空中演技を競う競技のオリンピック候補の選手と話をする機会がありました。彼は子どもの頃から体操競技選手として、ユニバーシアードや全日本選手権などで活躍し、2004年のアテネオリンピックに出場確実と言われていました。しかしながら、彼しかできない難易度の高い技が危険演技として禁止となったため出場がかなわなかったのです。また、次のオリンピックを目指して頑張ろうという矢先には、体操競技を断念しなければならないような大きなけがに見舞われました。しかし彼自身はオリンピックへの夢を捨てきれず、夢を追い求めてスキーのエアリアルへの転向を決意したそうです。

スキーを全く知らない状態からスタートをされたのですが、持ち前の負けん気と、そして夢をかなえるための人並み以上の努力をして、その結果、2011年から全日本選手権を連覇し、ワールドカップにおいて日本人男子選手として初めて表彰台に上がる実力者となりました。彼の話の中から、一流選手特有の、挫折の中から自己を振り返りそこから学び取る姿勢や、素直に人の忠告を聞いて地道に努力できる心の素質といったところが恵まれてるのかなと感じておりました。

また、そのことを一層強く感じたのは彼の「凡事徹底」という言葉を耳にしたときです。私もよく口にする「凡事徹底」という言葉なのですが、当たり前のことにかかわれることへの感謝と尊さ。そして平凡なことを非凡に努力するという、そういうことなのですが、当たり前のことを当たり前にやるのではなく、自分にしかできないことを見出すために、当たり前のことを人がまねができないほど一生懸命やることによって、いかなる状況におかれても自分自身を見失うことなく自信と誇り、そして感謝の気持ちを持つことができる。つまり、何事にもそういった意味では前向きに立ち向かう強い精神力が養えるということだと思います。

私においても、改めて当たり前に置かれている自分を見つめ直す、振り返りからの気づきへのよい機会であったと思いました。当たり前という意味では、ちょうど今各地で見舞われている豪雨による土砂災害なども、当たり前であったことが一瞬のうちに壊され、失ってしまうということ。そういった意味で言えば枚方市でもいつ何時このような事態が起こり得るかもしれないということを強く感じました。

枚方の子どもたちが当たり前のことが当たり前に過ごせるように、今後もさまざまな面で、危機管理をしっかりと意識し、そしてスピーディーな対応ができる、そういった体制を常に想定して整えていただけたらと思っています。そういった意味では、当たり前に過ごせる自分達をもう一度見つめ直せたらと感じました。

以上です。

徳永博正 委員長職務代理者

報告すべきことは少しあるのですが、次回に回させていただくとして、本日の所感では先月の定例会で小学校の社会科の教科書の採択にかかわって授業の在りようを少し要望させてもらいました続きを、少しお時間をいただいてお話をしたいと思っています。

つまり、中学校も含めてですが、学校教育における児童・生徒の政治的あるいは社会的な教養というものをどう育てるかということにかかわることです。

昔のことなのですが、私が小学校6年の時に安保闘争がありました。その時にはその巻き起こった渦というのが我々子どもにもおりてきて、わけもわからず子ども達が縦一列になって「安保反対」など言って遊んだりしたような時代でした。後になってからの話なのですが、その安保闘争の指導者の一人が、実は当時、安保条約の中身を読んでおらずに運動を率いていた、というようなことを回想していたのを聞いて、非常に鼻白む思いをしたことがありました。そのころからずっと今に至るまで気になってきていることは、学校教育に限りませんが、マスメディアの影響のもとで子どもや若者たちがイデオロギーや思い込みなどによって一方的な意見にさらされている、あるいは大声で叫ばれる根拠の薄弱なこと、感情的な宣伝に飲み込まれてしまって多様な意見や考え方から事実上遮断され、結果として自分で考えるということができなくなっているということがありはしないか、ということです。

ちょうど先般来、世間で問題となっていたことの1つに集団的自衛権容認があります。教育行政としてはその是非を云々するということはもちろんあり得ないわけですが、この問題はどうやら全国的に子どもの一部に余波を与えているように聞きますので、あえてこのことを切り口にしたいと思います。例えば、インターネットで話題になっていたことですが、集団的自衛権ができたら徴兵制になるというような声がLINEで拡散されるなど、いろんな発信によって、一部にはそれらが事実であるかのように鵜呑みにして不安を高めた子どももいるといいます。

つい先日も、ある新聞の投稿欄で15歳の高校生が次のように書いていました。「閣議決定がなされると、その前後、SNSではこれで戦争が起こるなど事実無根の文章が書きこまれたり、無差別に送りつけられたりしていました。これを高校生のように集団的自衛権をよく知らない人が見たら間違った認識を持ちかねません。実際、信じてしまった人も多かったようです。意見を持つのは自由ですが、自分たちの考えを広げるために事実無根の内容を流し、何も知らない人に間違った認識を持たせることは許されるのでしょうか。どんな考えを持っていようが、その主張は正しい事実に基づくべきです」とありました。誠に考えさせられる意見だと思いました。

小中学生ならもっと深刻な影響を受けているのかもしれません。もとより、個人としてどのような政治的意見を持とうと、そしてそれをどのように発信しようと誰しも自由だと思いますが、このような流言飛語あるいはデマとも思えるようなことが新しいツールによって素早く飛び交うということに、改めて非常に驚かされ、恐ろしくも感じましたし、子どもの精神的な成長にとってはやはり看過し得ない状況だというように思います。もともと、この件に関するマスメディアの報道ぶりから、子どもたちに何か影響があるだろうと思っていました。それだけに、学校や教育行政として政治的中立性の意義に照らしつつ、何よりも児童・生徒に真偽を見分け得る情報リテラシーを養い、思考力、判断力を伸ばすという観点からも正確に状況を捉えて適切に対応する必要があるのではないかと思います。

もし、枚方市の学校で教師が集団的自衛権の問題に関して児童・生徒に何か話をする場合は、まず集団的自衛権とは何であるのか、そもそも自衛権とは何なのかを教える必要がある。実は、このこと自体が余り理解をされていないのではないかと、懸念しています。国際法とは一体どういうものなのか、国際社会の状況、とりわけ東アジアの現実はどういうものなのかなど、基本的な事柄やあらましを知った上でその児童・生徒の発達段階にふさわしい取扱いをしなければならないと考えます。教師がこういう問題に関して仮に大して勉強をしないまま物を言うならば、どういう影響を与えるかをしっかりと考えておかねばならないでしょう。まして、中学校の社会科の授業で取り上げるというのであればなおさらです。

そもそも、一般的に児童・生徒がその発達段階や個性に応じて社会的な問題や政治的な問題に関心を持つというのは勧められるべきことでありますし、政治的な事柄についても落ちついてきちんと勉強してみるというのは非常に大切なこと、意義のあることだと思います。そして、それらがうまく育つように指導をしていくというのが教師の仕事だと思います。だからこそ、政治的に意見が分かれる問題について教師が取り上げる場合には、資料、情報等を適切に取り扱い、さまざまな意見をその理由にまで目を配り、あくまで事実の上に立って冷静かつ客観的に考察できるよう指導すべきであるのは申すまでもありません。その意味でも、教育委員会や学校としては、学校教育において学習指導要領の趣旨を踏まえつつ公民として必要な政治的教養を養うということに十分に意を配らなければならないと考えます。

これに関連して、あえて申しておきたいのは、学校教育において新聞等のさまざまな資料を教材として用いるにあたっては、今まで以上に慎重な取扱が必要であるということです。今回触れた集団的自衛権をめぐるこのところの議論の中には、やはりガラパゴスの議論だと評されるしかないものもかなりあるように、これまでもさまざまな国際社会にかかわる我が国の言説については、しばしば国内でしか通用しないひとりよがりのレベルのものだとずっと指摘もされてきたところがあります。もともと国際関係にかかわることに限らず、一部のマスメディアの在り方はまるでプロパガンダ同然だと厳しい批判も寄せられるなど、公器としての資質、倫理性が根底から鋭く問われている今日において、学校においてこそあくまで基本的な事実をしっかり踏まえて授業を行わなくてはなりません。そのため、インターネット上の情報の適切な活用の仕方も含めて新聞等の諸資料の取扱いについては、教師は細心の注意と工夫をすべきであるということ。今までもいろいろと言われてきてるとは思うのですが、念のために改めて申しておきたいと思います。

およそ90年ほど前にドイツの有名な学者であるマックス・ウェバーという方が大学における教師の在り方について、「職業としての学問」という有名な本で説かれていることなのですが、知的廉直、廉の字は清廉潔白の「廉」ですよね。つまり、知的に誠実であるということを説いているのですが、まさにそれは教育の基本にかかわる大事なことだと考えています。経験科学的な事実認識、それが何であるかということと、実践的な価値判断、我々がいかにすべきかということとを峻別しなければならないということ。これは、実は感情の動物である人間にとっては誠に難しいことなのですが、その上で教壇におけるフェアプレーの精神を重んじることは、大学のみならず、小中学校の教育においてもっと大切だと言えるのではないでしょうか。

自戒も込めてなのですが、そのウェバーの言う「知的廉直」という言葉をかみしめたいと思っています。

平素、現場の先生方は非常にお忙しくて、その中で頑張って仕事をしてくださっているということと思いますが、子どもたちに事実を捉え思考し、判断する力を養うとともに、信頼する学校を築くためにより一層、研鑽に努めていただきたいと望んでいます。事務局におかれましても、若い先生方も増えている中、今申した趣旨について校長会や研修などさまざまな場面で適宜ご指導を願えたらありがたいと思います。

以上、よろしくお願いいたします。

山下薫子 委員

この夏の間は、市内の図書館を利用させてもらっていましたが、中央図書館玄関で展示されていました椿昇さんの作品と子どもたちの作品展示も見せていただきました。現代美術家の椿さんは著名な方で、人間の生き方や自然環境とのかかわり方などについて問いかけをされながら、スケールの大きな視野を持って作家活動をされている芸術家の方です。椿さんとのワークショップも小学生対象に開催されていたようですので、夏休みの子どもたちにとってはとても貴重な体験になっただろうと思いました。

このような夏休みという子どもにとって非日常的な時間の中で、今回の芸術家との出会いや学びといったことは、大人が想像する以上にわくわくするような発見に満ちたものであっただろうなと思います。この「不思議な花と光る虫展」、これは中央図書館主催で枚方市こども夢基金活用事業で行われた一連の企画でありましたが、興味深い作品を見せていただけたと感じました。

それから、本日、先ほどですが、中学校の図書館を見学させていただきました。つい先ほど、学校図書館の充実を目指す事業として桜丘中学校に行かせていただきました。6月から学校司書として先生が図書室に常駐しておられ、お話を聞かせてもらったりもしました。わずか数か月の間に図書室の蔵書の整理から生徒たちへの対応まで意欲的に仕事に取り組んでいただいている様子が伝わってまいりました。図書について専門性を備えた方が常駐していただけるということによるプラスの効果は恐らくこれからいろんな形で生まれてくると思いますので、学校と図書館との連携ということを今後もじっくりと取り組んでいっていただきたいなということを感じました。

以上です。

吉村雅昭 委員

8月5日に枚方市の初任者研修ということで、午前中に教育文化センターへ行きました。また、午後からは磯島小学校で体つくり運動も含めた体育授業のつくり方の研修へ、たまたま私が勤めている大学の先生が講師として出席しており、先生方の元気な姿を含め研修を見させていただきました。

特にその研修の内容については理論的なこともそうなのですが、グループであることをしっかりと自覚し、みんなでなし遂げるということのヒントを特に縄跳びで感じました。プログラムの最後のあたりに跳び縄を使ってグループでいろんな形のパフォーマンスをする発表会のようなものがありました。最後にみんなが達成感を味わうといいますか、教材的には座学での勉強というものもありますが、特に体育的な活動ということに関しては、本当にその人の個性も含めてなのですが、お互いに共有しやすいというところがありまして、違う学校の先生方も仲よく、ひとつの目標に対して真剣に取り組んでいらっしゃる光景を目にしました。

夏休みの間にはおそらく研修という形や、あるいは先生方自身の勉強も含めて、普段ではなかなかできないようなことされていると思います。そのことが、学校が始まれば個人だけの財産で終わるのではなくて、やはりその研修などを受けた先生が他の先生方に対しても情報を発信して、良い資料などの共有もできたらいいのかなと思います。また、何かの機会で例えは職員会議ではなかなかできないと思うのですが、こういった研修を受けてきましたなど、たとえわずかな時間でも、特に初任の先生なんかがいらっしゃるところについては、初任者研修の一環としてではなくて、自分が感じたままの正直なことを発表したり、情報を伝えることによって学校全体の財産として高めていくことが大切かなと思います。

今後、管理職の先生方も含めて、この夏休み中の研修後に発表の場をうまくつくっていただきまして、学校の財産として共有し、お互いに枚方市の教育自体が高まるような形にしていただいたらどうかなということを感じております。

以上です。

村橋彰 教育長

夏季休業中に教職員の研究団体である枚方市教育研究会、市教研の研修としての位置づけで、今年は菊池省三先生をお招きしました。

そもそもは私が市教研の役をしているときに、小倉の中央小学校の教諭をされていて、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演されているのを見させてもらい、ぜひとも枚方にお呼びしたいと思いました。そこで小学校へ電話を入れ、「ぜひ来てもらいたい」と言ったら、「もう今年は無理です」と言われたんですね。「じゃあ、次の年度は大丈夫ですか」というような話をして、2年越し、3年越しでやっと来てもらえました。お聞きすると、25校から声がかかった、というようなことを言っておられました。担任をしておられるので、長期の休業中でないと行けないということでした。

なぜ招聘しようかと思ったかというと、学級づくりにおいてぜひ経験の浅い先生達に、この先生の学級経営というものを学んでほしく、今年度は枚方小学校の中塔校長が市教研の担当校長でやってくれているのですが、引き継いでもらいました。菊池先生いわく「学級集団づくりで2対6対2の法則」という経験則があり、集団でやる気があるものが2割、どちらでもないものが6割、やる気のないものが2割、という法則だそうです。やる気のあるものの2割とどちらでもない6割を足して8割にし、8対2にしていくという学級集団づくりです。その8割を高めることで、残りの2割の子どもたちを引っ張ってくれて、相対的に上がっていくことが大事なのですよと、その講演の中でもおっしゃっているのを聞いて「まさにこれを待っていたんだ」と自分自身思いました。そういった考え方の中で、教員の子ども達にかける言葉がけの大切さがあると思います。誉めるということもあると思いますが、例えばその2対6対2が8対2に、さらにその8割の中からSAと呼ばれるスーパーAができていくというようなこともあります。やる気のない2割の子も8割の子達に近づいていくようになると。その際ですが、どうしても頑張ろうという気持ちがあっても長続きしない子どもがいると、どうせ自分なんて、とで諦めてしまう。そういう時に、いかに教員が言葉がけをどうするかということです。例えば乱暴な言葉づかいをしたときに「まだそんなことをしてるのか」とか、頭ごなしに否定したらいけないよと。否定をするのではなくて、そのパターンを変えないとねということでサインを出して子ども自身にその短所を気づかせると、そういうことが大切だとおっしゃっていました。それは教師だけではなくて、クラスの他の子どもに対してもそれをアプローチさせることが大切だということで、普段の子どもとの接し方という面ですごく参考になりました。

この市教研の在り方や中身というのがいろいろ外部からも取り沙汰されているなか、菊池先生の話は第2部であり、第1部ではそれぞれの教科等の活動も紹介をしてくれました。それが非常に年々うまくなっていると感じました。映像を駆使したプレゼンの内容が非常にわかりやすく年間を通してこういう研究活動をやってるということを説明をしてくれました。

その中で、市教研は以前は個人で500円、市から500円で合計1,000円、一人あたり1,000円の予算で活動していたのですが、今年は300円にして、経費を落として活動もしています。そういう中で、市教研の中身などが外に対してしっかりとわかるようにしていけたらよりいいなとつくづく思いました。

また、話は変わりますが、教育推進室長を中心に教育フォーラムについての今後の取り組み等で動いてもらっている中、何人かの校長からもその後に話があったのですが、教員が教育委員会の施策をはじめとする本市の取組を直接聞き、非常によくわかったということで学校に帰ってきたいう評価の声も聞いております。

そういった中で、次年度は算数、数学をやろうと考えております。今年のフォーラムの中で、その方向性が学習における言語活動というのは目的ではなくて、考える力を育てるための手段であるという提言を受けました。それを受けて来年度は考える力の育成、算数、数学の指導を通してということでつないでいくというようなこと考えております。2018年度から、例えば小学校での英語教育をにらんで、次は英語をしていく必要があるのかなと思ってもおります。だからこそ、計画等を立てて一年一年テーマを設けてフォーラムなどを実施できたらいいなと思っています。

以上です。