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教育委員会委員の所感(平成25年9月27日 教育委員会協議会)

[2013年12月24日]

ID:1623

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記虎敏和 委員長

8月28日に、大阪府都市教育委員会連絡協議会の役員会がありまして、研修会開催等の日程調整や各協議会の報告がありました。今年度は、枚方市が北河内地区都市教育会委員研修会を主催しなければなりませんので、事務局におかれましては、日程や内容等、調整など、お手数をかけますが、準備のほどよろしくお願いしたいと思います。

9月8日、枚方市市政アドバイザーで劇作家の平田オリザさんの講演会を各委員とともに聞いてまいりました。コミュニケーションについて、具体的にわかりやすく解説していただいて、私自身、指導の中で思いあたるところが多々あり、非常に勉強になりました。自分の言葉足らずによる説明不足を子どもたちが理解できないと決めつけたり、一方的な話によって子どもたちの話す機会を奪い、うまく言葉を引き出せずにその子の意思を抑えつけて積極性を奪ってしまったり、そういったお話について、本当にいろいろと感じるところがありました。スポーツの指導でも、こういうコミュニケーション不足が行き過ぎた指導や体罰につながる大きな要因に上げられております。認めない、教えない、話さない、聞かない、考えさせない、そういう部分が日本の指導者に多く見られる部分です。今般、体罰等の問題を踏まえて、日本体育協会が「スポーツ指導者のための倫理ガイドライン」を策定され、ガイドブック、冊子が配布されました。その中に「PATROL(パトロール)しましょう」という言葉があります。Process(プロセス)結果ではなく経過を重視しましょう。Acknowledgement(アクノリッジメント)承認しましょう。Together(トゥギャザー)一緒に楽しみ、一緒に考えましょう。Respect(リスペクト)尊敬しましょう、尊重しましょう。Observation(オブザベーション)よく観察しましょう。Listening(リスニング)、話をよく聞きましょう。というものです。パトロールという言葉は、プレーヤーが自立して自ら進んで取り組めるようにするために、指導者が心がける指針なんですが、これはスポーツの場面だけではなく、生徒指導やいろいろな指導全般に言えることではないかと思っております。こういったところで子どもたちの成長をしっかりと見つめたいというふうに感じました。

9月17日には、市民会館での敬老の集いに参加しました。65歳以上の高齢者9万5,000人、枚方市の人口の約23.2%にあたるらしいのですが、これはどんどん増え、いずれ10万人を超えると言われております。来賓のご挨拶の中で、健康寿命のお話がありました。病気やけがをせず、健康で不自由なく生活が送れることを健康寿命と言うそうですが、大阪の平均は男性69歳ぐらい、女性72歳ぐらいだそうです。そういった話を聞くと、ちょっと寂しい気はしますけれども、会場ではそれを上回っておられる方が多数おられたように思います。一日も長く健康寿命を延ばせるように、我々も心も体もいつまでも生き生きと過ごせる努力を続けていきたいと思いますし、枚方市のご長寿の方も今後もそういった努力を続けていただけたらと思います。

以上です。

徳永博正 委員長職務代理者

今、委員長のお話にもありました平田オリザさんのワークショップのこと、ほか何点か申し上げたいと思います。平田オリザさんのお話は、その前段のワークショップを含め、非常に面白かったです。おおっと思いながら見せてもらい、聞かせてもらいました。ワークショップは演劇部の中高生を相手にした場面があったのですが、動きまわって相手を探せということを言いながら、子どもたちを動かそうとして工夫しておられる普段からの取組の一端がよくわかりました。その際にも、基本的には仕切りをきちんとされているということがありました。そこがやはり大事なんだと思うとともに、そうは言っても子どもたちはなかなかすっと動けるとは限らないので、そこは自分の経験を考えたらよくわかるのですが、他の子どもたちと関わりあっていくことへの促しというのは難しいということも実感いたしました。面白い場面でした。講演会では委員長のおっしゃった内容もありましたが、私が特になるほどと思ったことを二つ、ご紹介したいと思います。

一つは、今の子どもたちが単語でぽつぽつとしゃべるということです。何か聞かれたりしたときに、助詞や助動詞がないということでした。実は去年、申し上げたことがありますが、ある大学の教職志望者のための仕事をやらせてもらっていたときに、そこで大学生の様子を見ても少し感じていたところです。もちろんそこへ来る大学生ははっきりした意思、教職志望ということを持った上で来るのですが、まず最初に来たときにどのような動きをするかを見ていますと、こちらの問いかけを待っているわけですね。カウンターに来て、自分から何かを問いかけてということではなくて、我々が立ち上がってどういうご用件ですかと聞かれるのを待っている学生がかなりいました。そうではない人もいるんですよ。だけどともかく、そういうふうに非常に受け身であるということを感じておりましただけに、平田オリザさんのもっと小さい子どもにかかわる印象というのはそうだろうなと思いました。つまり、小学校の高学年になっても「別に言わなくても済むんだ」となる。そこで去年のことを思い出しますと、我々の立場からするとお客さんとして迎えなければいけないと考え、こちらからいろいろ問いかけますから、ぽつぽつ言っても通じるという状況にするんですよね。それは、小さい子どものときに自分の思っていることを通じさせるというような経験を経てないことが大いにあるのだろうと思わせるわけですが、その点を指摘しておられたように思います。平田オリザさんは、「優しい温室のような環境で育てておいて、だからわかってくれないというふうに思うのは当たり前になってしまっている、しゃべれないのではなくしゃべらない。子どものコミュニケーション能力が低いという言い方をするけれど、そういうこととはちょっと違う」ということを言っておられたと思うんですね。能力の問題ではなくて意欲の問題であるということ。学校の中に他者がいない。これは僕は非常に重要なことだと思います。常々、非常に問題だと思っていたことを端的におっしゃったということで印象に残りました。

それに関連しての二点目なんですが、自分というのは何なのかということに関わって、「役を演ずる」ということの意味です。演劇の方ですから、役を演ずることに関わってずっと仕事しておられるわけですよね。そのことの意味、人生においてどういう役割を持つか、そういうことについてのお話がありました。人間はいろんな役割や仮面をかぶって生きるということ。仮面、ペルソナの総体が人格を形成する。ペルソナはパーソンの語源ですよね。ゴリラも演じる動物、生物だけど、演じ分ける動物、生物は人間だけだということをおっしゃっていました。他者との出会いの意味の大事さ、そこでその役割を演じるということの意味ですね。そういうことについておっしゃられたんですが、私は役割というか、務めというか、そういうことについて強く意識させられてくることが今までずっとありましただけに、非常に印象に残ったお話です。だから「自分とは何か」というとき、自分というものは孤立して考え求めて得られるようなものじゃない。私は、自分のことがよくわかってない、自分なんてあるのかないのかというようなものでしかないというふうに私は思ってきましたので、以前にも教頭先生方にお話したところですけど、高村薫さんの著書のインタビューの新聞での「自分探しなどをする暇があったら巨大なもの、自分の築いてきたものを見てほしい」という言葉を紹介したことがあります。まさにそれが私の言いたかったことなんです。自分というのを固まったものとしてつくるということは本当はできないので、そういう意味でも非常におもしろい。その見方をお示しになっておられたと感じました。それが平田オリザさんの印象です。

二つ目は、9月13日に授業の見学に行ってまいりましたので、そのことを簡単に申し上げます。見学したのは招提北中学校の3年生の英語の少人数の授業でした。この少人数の授業はクラスを半分に割ってのもので、習熟度ではなくて単純分割の授業でした。担当は若い先生ですけど慣れておられ、NETと分担をして堂々とうまく授業をしておられて、さすがだなと思って帰ってまいりました。その授業でも、子どもたちを動かしている。指示が明解でなければ動けませんよね。短い限られた時間の中で、きちんと要所を押さえた上で、子どもたちの動きをつくり出していくということをしておられたことが非常に印象的でした。NETはスペイン人なんですけど、私なんかでは全然わからないぐらいの英語の使い手であったことは確かです。指導助言に関西外国語大学の並松先生に来ていただいておりまして、いつものように研究協議でお話をいただくところの締めをしていただいたんですけど、いつもの指導助言に来られる先生と同じように非常に大事な、わかりやすいお話がありましたので、そこでおっしゃっていたことを何点かご紹介します。

まず、招提北中学校が研究校指定を受け、職員にとっては大変な負担であっただろうけれども、そういうことから生まれる教員の一定の緊張感というのは非常に大事だということでした。一定の緊張感は必要であって、組織の活性化に役立つということをまず評価しておられました。

次に、その授業を通して子どもたちが何々できることを体験していくことが大切である、生徒のそういう能力の開発に取り組み、どういう力をつけて卒業させるかということが大事だということでした。それから、音読でもペアワークでも生徒に習慣づけることが大事で、無駄な時間を減らし、リズミカルな授業をつくるようにしてほしい、教室に英語の音声が充満するような授業であってほしい、というふうにおっしゃっていました。そして、生徒の頭の中に残像ができるように。例えば真面目な子は、英語の教科書に片仮名で単語の読みを書いたりするんですね。それは片仮名英語であり、それではだめで、発音記号をきちんと捉えるようにできなければいけない。これは難しいですが、実は英語の先生に聞いたら、皆さんそうおっしゃいますね。辞書の単語の後ろに発音記号が書いてありますよね、それに注目しなければいけない。片仮名で書き込んだりしたって、それは全然力にならない。真面目な子ほどそういうことがあったりするけれども、生徒の頭の中に残像ができるように、英語の音声が充満するような授業であってほしいということをおっしゃっていました。

それから、英語の授業で自由度を追及しすぎると、ぐちゃぐちゃになってしまう。生徒中心主義だけではなく、型を教えることも力を定着させるには大事である、そのようなことをいろいろとおっしゃっておられました。実は並松先生は、この夏に教育PROという雑誌に「核心を押さえる英語教育」というものをお書きになっておられ、私は事前にそれを読んでおりました。英語教育やその他についても、はっと思わせられることをいろいろとお書きになっていらっしゃいましたので、当日にお話も伺えて勉強になりました。なお、この「核心を押さえる英語教育」については、石田学校教育部長にお渡しをして、担当の方に読んでいただくようにお願いをしたところです。

以上です。

山下薫子 委員

私も平田オリザさんの講演会についてお話させてもらおうと思って考えてきたんですが、今、委員長と職務代理者がほとんど共通の共感するご意見言っていただきましたので、その後日談を、私事ですがお話させていただきます。

家に帰りまして、講演の内容が非常に勉強になったということを家族に話しましたら、ちょうど帰省中の大学生の息子が、今読んでいる本と全く同じ内容だということで本を持ってきたんです。それが平田オリザさんの書かれた本だったんですね。今の若者は本当にコミュニケーション能力を求められているということを切実に感じてるようで、息子とそのことを話しながら、平田オリザさんが講演の冒頭に「コミュニケーション能力が必要ということを言われる時代が子どもたちを追いつめていませんか」と問われたことを思い出しました。本当に今の子どもたち、若者はコミュニケ-ション能力ばかりを求められ、受験でも求められ、就活でも求められ、執拗にそれを言われるという、今はそういう時代ですということを言われたことが頭によみがえりました。ついでながら申しますと、その息子は大学に入学したばかりなんですが、すごく驚いたのは、一回きりの授業なんですが、学校の必修の単位としてアナウンサーを招き、コミュニケーション能力を高めるとか、自分を上手に表現して対話する力をつけるということの講習があったということでした。将来、医療に関わる職業につくんですけれども、それを踏まえて、大学は1年の時からそういうことに取り組んでいるということで、職業上関わる人たちとどういう表情で語らえばいいかとか、どうすれば相手の気持ちが読み取れるかとか、全員鏡を持参し、自分の顔を見ながら表現する力をつけるとか、そして相手の言っていることをどのように受けとめるかとか、そういうことの体験を通しながらの講習を受けてきた、その延長線上で平田オリザさんの本を手にした、ということを聞きました。平田オリザさんがおっしゃったように、コミュニケーション能力という言葉がもう世の中の定番のように時代にくっついて求められているものだと思うんです。平田オリザさんは、子どもたちには「伝えたいんだ」という気持ちを持たせる教育をすることがとても大切ですよ、ということをおっしゃっていましたし、少子化や地域社会の関わりの薄い時代が背景にあって、そういうコミュニケーション能力がなかなか前に出てこない現状だと思います。先ほど徳永先生が言われたような、単語だけでしゃべる子どもたちが増えているという現象が出てきたりしているようですけれども、そういう状況を踏まえますと、教育にまたしても課せられる役割というのは大変大きいということを講演では感じましたし、平田オリザさんもそれをおっしゃっていたように私は感じました。

以上です。

吉村雅昭 委員

それぞれの活動についてはほぼ同じで、平田オリザさんのことについてもまた、非常に参考になることがたくさんありました。

9月22日に、枚方NPOフェスティバルというものが開催されました。かなり大きなイベントだったんですけれども、障害者のスポーツ関係の友人から声をかけてもらい、参加といいますか、一緒にボランティア的なことをさせていただきました。学校教育の部分では社会福祉的なもの、あるいは社協との関連性というものはあまりないようなんですが、たくさんの子どもたちがそのイベントに参加をし、その後いろんなブースに行って話を聞いたり、授産施設等の皆さんのところでの品物を買ったり食べたりするのを見ていますと、小さいころからそういう経験があることで、いろんな立場の人がいらっしゃって、その中で自分たちが成り立ってるんだということを自然に体験学習できる。そういう意味では非常に大切なことだと感じたところです。学校で一元的に習うような学習も大切なんですけれども、外に出ていろんな人からいろんなアドバイスを受けて、そこで叱られたり褒められたりすることが子どもたちにとって早いうちから本当に必要だ、という感覚を持っておりました。先ほどの平田オリザさんの話の中でもありましたが、学校とどう関連するかというところで全国学力・学習状況調査等がいろいろと注目を浴び、例えば東海地方のある県では、初めは下位の校長名を公表するとしていたものを、上位100校の校長名を公表したわけです。これは校長先生の立場から独断でやったと言っているんですけれども、本当にありがた迷惑ではないかなと思います。決してそのことを喜んでいる学校長はいない。それはその学校が積み重ねた結果としてあるわけで、転勤してすぐの方もいらっしゃるだろうし、何年かやられた方もいらっしゃると思うんですけども、一元的に校長名を公表し、暗に学校名がわかるような形が適切なのかどうか、ということです。今の世の中、結果を求められるというか、成果至上主義的なものに流れていく。本来、その全国学力・学習調査等の目的は、それぞれの学校あるいは都道府県等の課題を見つけ、その課題克服のため、子どもたちにどのような違う方策で教育をしていくのがいいかということがあぶり出されるということだと思います。それが、「結果としてできたか、できなかったか」となる。うちはこれだけできているからいい、という部分が社会的に注目を浴びるということに対しては、ちょっと違うんじゃないかなと感じます。本来の趣旨というのは、枚方についてもいろいろと説明されるということは聞いておりますけれども、やっぱり逸脱することなく、子どもたちにとってよりよい教育をどうしていくのかということを中心に結果を踏まえて改善していく、あるいは工夫していくというところを考えていかないといけないのではないかと強く感じました。このように、ネット社会等の流れの中で、すぐに比較し優劣をつけてしまうということがありますが、我々はそうじゃないんだということです。教育というのはもともとはそうではなくて、積み重ねで、すぐに結果ということではなく、5年先、10年先、20年先、30年先にその子にとって結果が出てくる、ということを粘り強く一般の皆さんには伝えていかないと、と思います。世の中の流れが何か違う方向に行ってしまっているように感じているので、ぜひ枚方市はそうではなく、子どもたちの笑顔がずっと続いていく、そしていい思い出ができ、次の自分の進路に向かって進んでいけるように考えていかないといけないということを強く感じました。また、できるだけそういう観点からも見ていきたいというふうに感じました。

以上です。

南部一成 教育長

9月21日に、枚方ライオンズクラブ主催の国際平和ポスターコンテストの表彰式に行ってきました。絵の上手な子どもがたくさんいるという印象でしたが、4,000人ほどの出展があったということを聞かせていただきました。その中で、子どもたちが平和ポスターのときの平和を描くのは、地球儀とハトと万国旗なんですね。子どもにとって、世界各地の旗というのは、仲よくつながっているのが平和の一つの象徴なのかなと思ったとき、今、小中学校の体育祭や運動会で、昔あった万国旗がないということを感じました。子どもたちが平和をそこに見ていると感じましたので、何かいい施策が必要なのではないかということを、平和ポスターの表彰式のときに特に感じたところです。

市議会の本会議がありまして、一般質問でもいろいろと質問がありました。教育を進めていくにあたり、枚方の子どもの成長のためにやっている、というぶれない視点で進めているつもりですが、なかなか理解をしていただけない部分があるように思います。今後も、議会もそうですが、市民の方にお知らせするときには、子どもの成長のためにという視点で行政を進めているということをアピールしながら進めていきたいと改めて思いました。

以上です。