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由緒も古きなどころや

[2013年1月10日]

ID:346

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枚方宿
伝承文化

枚方宿

市立枚方宿鍵屋資料館

1601年、江戸の日本橋と京の三條を結ぶ東海道に53の宿場の設置を始めました。その後江戸幕府は上方と西国支配を強めるため東海道を大坂まで延長し、伏見・淀・枚方・守口の4宿を設けました。大坂夏の陣の翌年(1616年)ごろに設置されたと考えられています。
枚方宿は岡新町・岡・三矢・泥町の4町で構成され、旅籠や茶屋が軒を並べていました。また8代将軍吉宗の時に中国の商人から像が献上され長崎から江戸へ向かう時に枚方で宿をとったという記録が残っていて、当時の人々は物珍しそうに見ていたそうです。
街道の宿場町でもあり淀川水運の中継港でもあった枚方は徐々に農村から町へと発展し、18世紀後半には枚方宿4町で341軒が軒を並べました。一般旅行者が宿泊する旅籠が32軒、休息の茶屋は7件あり、商店も47件ありました。また鍵屋があった堤丁一帯は弦歌さんざめいていた歓楽の街の顔もみせていました。

市立枚方宿鍵屋資料館の紹介ページへ(別ウインドウで開く)
枚方宿地区まちづくり協議会のホームページへ(別ウインドウで開く)

伝承文化

伝王仁墓

伝王仁墓の写真

伝アテルイ・モレの首塚

アテルイ・モレの塚

片埜神社の隣の公園に『伝 阿弖流為 母禮 之塚』と記されている石碑があります。
阿弖流為(アテルイ)は8世紀の終わりごろの蝦夷(東北)の領袖でした。征夷大将軍となった坂上田村麻呂が数万の朝廷軍を引き連れて侵攻した際にはこれを撃退した英雄として知られています。
802年に降伏し、坂上田村麻呂が蝦夷の首長アテルイと副将モレと多数の同族を引き連れてそのことを朝廷に報告しました。坂上田村麻呂はアテルイの助命を嘆願しましたが、聞き入れられず河内国国内で処刑されました。
『日本紀略』によると河内国植山で処刑されたとあり、この植山は現在の枚方市宇山と推定されています。
【場所】枚方市牧野坂(牧野公園内)

ひらかた昔ばなし総集編

ひらかた昔ばなし表紙

古くからひらけていた枚方は伝王仁墓や伝アテルイ塚、天野川の七夕伝説などたくさんの伝承が残されています。
これらを今に生かして郷土愛を育む魅力あるまちづくりのために「ひらかた昔ばなし」を発行しています。

七夕伝説

かつて枚方市を含む地域が「交野ヶ原」と言われ、天女伝説(天の羽衣伝説・孝子鈴見伝説)が伝えられるなど古くから七夕伝説が伝えられています。
牛飼いの青年と機織り娘の夫婦が時間を忘れて仕事をおろそかにした罰として天の川両岸に離されて年に一度だけ会うことが許されたという話はあまりにも有名です。
現在伝わっている日本の七夕は、日本古来の豊穣を祈る祭りである「棚織」と中国から伝わってた道教による星辰信仰が入り混じり、さらに時代を経て変化してきたものです。「織女・牽牛」は中国名で「織姫・彦星」は日本名となっています。
七夕伝説にちなみ、平成24年7月7日に本市の産業振興キャラクター「ひこぼしくん」が誕生しました。交野市のキャラクター「おりひめちゃん(別ウインドウで開く)」といっしょに地域の発信につとめています。

枚方市の文化財

百済寺跡
交野天神社本殿
樟葉宮跡