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印刷用ページを表示する 掲載日:2013年1月28日更新

蘇れ!淀川の舟運

淀川の舟運について

 淀川は、古くから京都と大阪、さらには瀬戸内海から日本海を経て東アジア各地へと結び、人や物資の輸送さらには文化交流を支える交通路として重要な役割を果たしてきました。

 江戸時代、大阪が「天下の台所」としての役割を担うようになると、淀川が経済の大動脈となり舟運による輸送が活発に行われていました。
安藤広重の浮世絵にも描かれた三十石船や過書船などさまざまな種類の船が京都の伏見港から大阪天満の八軒家浜(はちけんやはま)の間を往来し、最盛期には約1400艘の船が運航していたといいます。

広重枚方宿

 明治期に入り、外輪によって推進する川蒸気船が就航し、それまでの三十石船は姿を消していきました。しかし、大正期に入ると、鉄道や道路の整備など陸上交通の発達により、川蒸気船も衰退し現在では、砂利採取船など一部の船舶を除き、ほとんどがその姿を消している状況にあります。

淀川の蒸気船


 一方、近年、淀川では水質や自然環境の改善、また河川公園や船着場などが整備され、沿川住民の河川に対する関心が増大するとともに、舟運の再生を望む声が大きくなりつつあります。
 また、阪神大震災を契機として、震災等緊急時の物資輸送の手段として淀川での舟運の役割が見直されるとともに、河川の特性を活かした個性と魅力ある地域づくりを推進するうえでもその役割が注目を集めつつあります。

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