広報ひらかた

市民登場 No.690

河内そうめん作りの継承に努める

藤井 繁雄さん

◆ふじいしげお 明治時代から続く米穀店の5代目店主。妻の春乃さんと津田地区の河内そうめんの継承に努める。津田元町在住。48歳。

 品質の高さと希少価値から「幻」と呼ばれた河内そうめん。生家の米穀店で代々販売していたこともあり、幼い頃からよく食べていた。「コシが強く、ゆがいてから時間がたってもうまいんですわ」。河内そうめん作りは、かつて津田・穂谷地区で農家が冬の副業として行っていた伝統産業で、江戸時代には京都をはじめ近江(滋賀県)や但馬(兵庫県)などにも出荷された。しかし、戦前は50戸ほどあった生産農家も、都市化などの影響でほとんどが廃業した。

 河内そうめん作りを意識したのは、店を継いで5年後の29歳の時。仕入先で「後継者がおらん」と聞いたことがきっかけだった。「河内そうめんが消えてしまう」。趣味は神社仏閣巡りという伝統好きの心に火がついた。生産農家に弟子入りし、約9年間、仕事の合間をぬって手伝った。小麦粉と塩水で丸2日かけて作る河内そうめんは、天候や湿度で出来が大きく変わる。「習うより慣れろ」という厳しい指導だったが、「勘がものをいう奥深さが面白い」とのめりこんだ。38歳で独立。道具を譲り受け、自宅に作業場を新設した。「師匠から『完璧にできるのを待ってたら一生できひん』と言われ決心しました」。

 河内そうめん作りは2人一組の工程が多い。作業は常に妻との二人三脚だ。仕込む日と翌日の天候を予測して塩を加減しなければならず、「初めは落としたり、切ってしまったり」と失敗の連続だった。「会心の出来ばえは数えるほど」と、10年たった今でも難しさを痛感する。知り合いから乾燥機の導入を勧められることもあるが、昔ながらの製法にこだわり続ける。「手延べ、天日干しでないと河内そうめんやないんです」。そのため生産量は限られ、例年ほぼ予約で売り切れるが、「おいしい。来年も頼むよ」という声が励みだ。「教えてもらった製法を絶やさないことが僕らの使命ですわ」。