広報ひらかた

市民登場 No.669

牛丸 チヨ(うしまる ちよ)さん

明治43年岐阜県生まれ。緑内障を原因に失明してから20年以上作り続ける小袋は、累計3万枚を超えた。星丘在住。

 9月で105歳。目が見えず耳も遠くなったが、「他に悪いところがない」と医者も驚くほど体は元気だ。長寿の秘けつは「できることを続けること」。手縫いの小袋作りは20年来の日課だ。同居する次女がカットした布を指先の感覚を頼りに縫い合わせ、ひもを通す。裏地付きだ。「目が見える人でもなかなかできひんで」と陽気に笑う。
 故郷は勇ましい起し太鼓やきらびやかな屋台が練り歩く古川祭りが有名な飛騨の古川。結婚し大阪に住み始めたが、戦況が悪化した昭和19年、4人の子を連れ故郷へ疎開。夫はニューギニアで戦死し戦後すぐ3番目の子も亡くした。「みんな生きるのに必死でしたね」。生計を立てるために始めたのが和裁だった。子どもたちの巣立ちを見届け、60歳を前に長男の住む東京へ。「着たいものを着て、やりたいことをやろう」。お茶に書道、コーラスと趣味を広げ海外旅行にも出掛けた。遅れてきた青春を思い切り楽しんだ。
 70歳で緑内障にかかり視力が落ち始め、82歳のとき枚方で暮らす娘の元へ移り住んだ。故郷から時折依頼のあった和裁の仕事も手元がおぼつかなくなり、一人で出歩くことも難しい。それでも「じっとしてられへん」と始めたのが小袋作りだった。「これくらいしか今はできひん」と言うが仕上がりには気を配る。「仕事みたいなもんです」。
 これまでに作った小袋は3万枚を超え、娘の手で知り合いや市内の障害者施設などに配られるうちに、ご長寿にあやかれる「おチヨ袋」の愛称で親しまれるように。「使ってもらえるのがうれしいね」。しっかりと座り、黙々と針と糸に向かう姿は現役そのものだ。