旧枚方宿探訪

枚方宿は、徳川幕府が岡新町村、岡村、三矢村、泥町村の4か村を指定して、江戸時代初期に成立しました。道幅4.5mの京街道に沿う1,447mの間には、本陣・脇本陣や問屋場、旅籠屋などが立ち並び、三十石船の中継港としても賑わう大きな宿場町でした。新町1丁目から堤町に至る旧街道沿いには、古いたたずまいの町家があちこちに残り、歴史街道モデル事業整備地区として整備が進められています。


「鍵屋」〜現存する船宿
本陣と問屋場〜紀州の殿様も御用達
三十石船とくらわんか舟
ムクの木と鋳物工場(金屋たたら)
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◆「鍵屋」〜現存する船宿
「鍵屋」は枚方宿を代表する船宿で、16世紀末の創業といわれています。建築年代が18世紀末と推定される主家は、市の指定文化財です。
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本陣と問屋場〜紀州の殿様も御用達
 

本陣は、将軍・公家・大名などが休泊する施設で、枚方宿本陣は天明年間の記録では、街道に面した間口が約20間、奥行24間の敷地で、建物が215 坪でした。

紀伊徳川家では6代藩主宗直のときから参勤交代の際に京街道を通るようになりました。多いときには武士1600人、人足2300人、馬100 匹という大行列で、絢爛を極めたといわれています。

明治3年の本陣廃止に伴って取り壊され、その跡地に北河内郡役所が置かれました。

現在は淀川左岸水防組合事務所になっています。

  問屋場には、幕府より任命された問屋役人(宿役人)が数人いて、公用旅行者の宿割りと人馬継立の業務を行なっていました。守口宿から運ばれてきた荷物は枚方宿の問屋場で引き継がれ、次の淀宿までは枚方宿の責任と負担で運ばなければなりませんでした。

本馬

人足
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◆三十石船とくらわんか舟

三十石船はおよそ全長が17m、幅3.6m。定員は30人ほどで、下り半日、上り1日で大坂八軒屋と伏見の間を運航しました。

中継港であった枚方浜あたりでは、三十石船の乗客に向かって小舟を漕ぎ寄せ「くらわんか、ごぼう汁、あん餅くらわんか」などと野卑な言葉を投げかけ、酒や食べものを売りつける「くらわんか舟」が有名でした。

その様子は、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも描写されています。


淀川三十石船とくらわんか舟の風景
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◆ムクの木と鋳物工場(金屋たたら)

万年寺山の一角にひときわ高くそびえているのが、府の天然記念物に指定されているムクの木です。ニレ科の落葉樹で、樹齢500〜600年と推定されています。

この木の側にはかつて河内鋳物師田中家の鋳物工場(現在、藤阪に移築復原して資料館として公開)があり、梵鐘・灯籠をはじめ鍋・釜・鋤・鍬などを鋳造していました。

ムクの木のザラザラした葉は、それら鋳物の研磨に使われたとか。枚方市が作成したアニメの「鋳物師はんべえ」は、この田中家の棟梁をモデルにしています。



ムクの木
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