市内の文化財
国指定関係
重要文化財
片埜神社本殿 牧野阪2-21-15
片埜神社は、牧郷一之宮として古くから崇敬を集めた式内社です。三間社流造檜皮葺の本殿は慶長7年(1602)豊臣秀頼が片桐且元を奉行として造営したもので、桃山時代の華やかな様式をよく残しています。昭和25年8月29日、重要文化財に指定。
交野天神社本殿・交野天神社末社八幡神社本殿 楠葉丘2-19-1
交野天神社本殿は一間社流造檜皮葺で、応永9年(1402)の建築です。末社八幡神社本殿は、天神社本殿よりやや小ぶりですが、やはり応永頃の建築と考えられます。両者とも室町時代中期に遡る本市の古建築としては最古のものです。昭和25年8月29日、重要文化財に指定。
厳島神社末社春日神社本殿 尊延寺5-9-11
末社春日神社本殿は一間社流造檜皮葺で、春日大社本社旧本殿と伝えられています。建築年代は明らかでありませんが、交野天神社本殿と共通する様式も見られ、室町時代中期に遡る遺構と考えられます。昭和53年5月31日、重要文化財に指定。
特別史跡
百済寺跡 中宮西之町1-60
東大寺大仏建立に際し、天平21年(749)百済王敬福は陸奥国産出の金を献上した功により、翌年宮内卿兼河内守に任ぜられ、以後百済王氏は中宮に住み、百済寺を建立したと考えられています。伽藍配置は日本では他に例を見ない形式で、新羅の寺院建築との関連が注目されます。昭和27年3月29日、特別史跡に指定され、43年には全国で初めて史跡公園として整備されました。
史跡
牧野車塚古墳 小倉東町369
穂谷川左岸の台地上に立地する全長107.5mの前方後円墳で、主軸をほぼ東西にとり前方部を東に向けています。周囲に幅約10メートルの空濠を廻らせ、西側から南側にかけて外堤を留めています。大正11年3月8日、史跡に指定。
禁野車塚古墳 宮之阪5-381
天野川右岸の低地に立地する全長110メートルの前方後円墳で、前方部を西に向けています。墳丘は二段築成で、葺石と埴輪が認められます。4世紀後半から5世紀前半の築造と推定されています。昭和47年3月22日、史跡に指定。平成19年7月26日、追加指定。
登録有形文化財
大阪歯科大学牧野学舎本館 牧野本町1-4-4
昭和4年建築。昭和37年増築。鉄筋コンクリート造3階建で、正面中央に塔を立ち上げ、左右に翼部を張り出したほぼ左右対称の建築構造をとっています。各階に水切りを回して水平感を強めるとともに、西側に付けられたアルコーブの出窓によって落ち着いた優しい意匠となっている。登録日は平成17年11月10日。
府指定関係
有形文化財
片埜神社東門・ 南門・石造灯籠 牧野阪2-21-15
東門は、元は棟門でしたが後世に改造され現在では小型の四脚門となっています。建築年代は明らかでありませんが、構造形式などから室町時代後期のものと見られます。南門は慶長7年の本社社殿再興に続いて再建された四脚門で、近世初頭における建立年代の明らかな数少ない遺構です。石造灯籠は、様式上鎌倉時代の遺品と見られています。東門は昭和47年3月31日に、南門は昭和52年に3月31日に、灯籠は昭和45年2月20日に、それぞれ有形文化財に指定。
釈尊寺木造釈迦如来立像 釈尊寺町1-10
この仏像は、京都嵯峨の清涼寺の本尊釈迦如来立像とよく似る清涼寺式の秀作の一つです。檜材の寄木造で、造高167センチメートル・総高242センチメートルを測り、鎌倉時代初期の作品と考えられます。昭和45年12月7日、有形文化財に指定。
安養寺石造露盤 南楠葉2-38-17
露盤は塔の屋頂に置いて雨仕舞の役目を果たす部材で、その上に宝珠を載せて屋根の装飾を兼ねました。この露盤は凝灰岩製で、風化して四角の一角が欠けているものの原形をよく留めています。1辺110センチメートルの正方形で、中央ほぞ穴の周囲には八葉複弁蓮華文が刻まれています。鎌倉時代以前の製作と考えられます。昭和45年2月20日、有形文化財に指定。
正俊寺石造十三重塔 長尾宮前2-2-1
江戸時代の領主久貝家の墓所がある菩提寺で、慶安2年(1649)久貝正世が父因幡守正俊を弔うために創建しました。その際、久貝家領中野村(四條畷市)正法寺から本尊釈迦如来坐像と十三重塔を移しました。石造十三重塔は、風化が激しいものの、嘉暦2年(1327)の紀年銘が刻まれ、鎌倉時代の造立当初の姿をよく留めています。昭和45年2月20日、有形文化財に指定。
旧田中家主屋・鋳物工場 藤阪天神町5-1
田中家は、河内鋳物師として代々鋳造業を営んできました。枚方市は、枚方上之町にあった鋳物工場と主屋の寄贈をうけ、藤阪に移築復原して旧田中家鋳物民俗資料館として開館しました。主屋は桁行8間・梁行4間半、切妻造本瓦葺で、鋳物師という火を扱う職業の性格上、建築当初から瓦葺でした。工場は桁行12間・梁行5間半、寄棟造本瓦葺で、近世の鋳物工場として全国に例を見ない珍しい建築遺構です。主屋の建築年代は元文4年(1739)を下限とし、工場もあまり隔たりのない時期の建築と考えられています。工場は昭和48年3月30日に、主屋は昭和50年8月27日に有形文化財に指定。
百済寺遺跡出土せん仏 藤阪天神町5-1
せん仏とは仏の姿をかたどった土製のタイル状のもので、仏を安置する厨子を飾ったと考えられています。
百済寺は、660年に滅亡した朝鮮半島の百済王室の子孫である百済王(くだらのこにきし)の氏寺として8世紀後半に建てられたものです。平成13年の発掘調査で発見されたせん仏は、図様から奈良時代に属するものと考えられ、当時の百済寺における信仰のあり方をうかがわせる貴重な資料とされています。ひとつの遺跡から10点以上せん仏が出土した例は全国でも珍しく、府内では、百済寺跡だけです。平成18年1月20日、有形文化財に指定。
史跡
継体天皇樟葉宮跡伝承地 楠葉丘2-19-1
『日本書紀』には、越前三国にいた男大迹王(おおどのおう)が樟葉で即位して継体天皇となり、5年にわたり宮を営んだと記しています。樟葉宮跡の位置は不明ですが、交野天神社の社叢に囲まれた末社貴船神社の鎮座する小丘付近が仮の推定地とされ、小丘の麓に石碑が立っています。昭和46年3月31日、史跡に指定。
田口山弥生時代遺跡 田口山2
- 田口山遺跡は弥生時代中期後半に成立した高地性集落で、明治時代に磨製石剣が出土したほか、昭和15年に発掘調査され、昭和18年8月23日、顕彰規則による史跡指定以後も広い範囲で何度も発掘調査されており、これまで40棟以上の竪穴式住居跡や土器棺墓群が見つかっています。
伝王仁墓 藤阪東町2
藤坂の山中におに墓と呼ばれる2個の自然石があり、歯痛やおこりに霊験がありました。元和2年(1616)禁野村和田寺の道俊は王仁の子孫と称して『王仁墳廟来朝記』を著し、藤坂村字御墓谷のおに墓は王仁墓の訛ったものと記しました。享保16年(1731)京都の儒者並川誠所は道俊の書物をもとに、この石を王仁墓として崇敬するよう当地の領主久貝正順に進言し、石の後方に墓碑が立てられました。こうしておに墓は王仁墓に変わりました。昭和13年顕彰規則による史跡に指定、平成5年3月31日、文化財保護条例による史跡に指定。
天然記念物
枚方田中邸のむく 枚方上之町123-4
ニレ科の落葉喬木で、樹高は21メートル、幹周は5.4メートルで樹齢600年の巨樹です。果肉は甘く野鳥が食べ、特にムクドリが集まることから鳥名となりました。葉の表面はざらざらしており、鋳物製品の研磨に用いられたと伝えられ、河内鋳物師田中邸内のむくは、枚方金屋のシンボルでした。この種の巨樹として全景をとどめる樹木は府下でも珍しいものです。昭和45年2月20日、天然記念物に指定。
光善寺のさいかち 出口2-8-13
文明7年(1475)蓮如は出口の地で付近の人々に説法をしましたが、池に住む大蛇が説法を聴き功徳を得て池を蓮如に献上し、そばのさいかちの木から昇天したと伝えられます。池は埋め立てられ光善寺が建立されました。さいかちの木は幹周2.2メートル、樹高約12メートル、樹齢200〜250年と推定されています。昭和50年3月31日、天然記念物に指定。
市指定関係
有形文化財
清泰寺木造普賢菩薩坐像・文殊菩薩坐像 長尾元町1-11-10
像高29センチメートルの普賢菩薩坐像は、天衣を左肩にかける形や条帛をつけない形が比較的珍しく、頬がまるく張った顔に配する目鼻立ちや、安定感に富む体つきから9世紀後半の製作と考えられます。普賢菩薩と対をなす文殊菩薩坐像は檜材の一木造で像高30.4センチメートル、右脚脛下に左足指を見せる形が興味深いものです。平成8年4月1日、有形文化財に指定。拝観要予約(清泰寺:072-857-6409)
廃渚院観音寺鐘楼・梵鐘 渚元町9-23
平安時代に惟喬親王の別荘であった渚院の跡に建てられたとされる観音寺は、明治3年廃寺となりましたが、鐘楼と梵鐘が残っています。鐘楼は方1間吹き放ちで、棟木に残る棟札から寛政8年(1796)に建立されたことが知られます。梵鐘は河内惣官鋳物師枚方田中家の作で、鐘楼と同じく寛政8年の鋳造です。田中家鋳造の梵鐘としては、市内に残る唯一のものです。平成8年4月1日、有形文化財に指定。
意賀美神社の算額 枚方上之町1-12
和算家が数学の問題や解答を書いて神社などに奉納したものが算額で、意賀美神社の算額は摂津麻田藩の岩田清庸が文久元年(1861)に奉納したものです。問題は3問あり、清庸は病に罹り枚方宿内で養生し、神の加護により回復したので感謝の意をこめて算図一編を奉納したと記しています。平成8年4月1日、有形文化財に指定。
見学要予約(意賀美神社:072-841-2790)
村野村高札場 村野本町10-62先
江戸時代の公的施設として村の中心地に設けられ、奉公や代官による庶民への通達手段として用いられていました。明治に入り、法令の交付方法としてふさわしくないと考えられ全国的に撤去されましたが、当高札場は撤去されず現在まで受け継がれており、府下でも珍しく市内では唯一現存するものです。平成8年4月1日、有形文化財に指定。
鍵屋主屋 堤町10-27
京街道に面し枚方宿を代表する町家で、19世紀初頭に建築されたと推定されます。3間続きの客間と広いヒロシキがあり、客人が酒や団子等を供しながら船を待つのに使ったと思われます。裏手は淀川に面しており、トオリニワを抜けると船着き場に出ることができました。また、手前にカマヤ(炊事場)、奥にダイドコロがあります。カマヤは、一般には家の裏手にあり、このような例は少なく、煮売家などの商売をしていた町家に限られます。解体修理工事を行い平成13年7月、市立枚方宿鍵屋資料館としてオープンしました。平成9年4月1日、有形文化財に指定。
淨念寺木造不動明王立像 三矢町7-21
元は万年寺所蔵の仏像で、明治3年万年寺が廃寺になったため、鐘楼などとともに淨念寺に移されました。檜材の寄木造で、像高は96.3センチメートルを測り、鎌倉時代前期の製作と考えられます。平成9年4月1日、有形文化財に指定。
拝観要予約(淨念寺:072-846-3393)
和田寺木造薬師如来立像 禁野本町2-7-43
鎌倉時代の製作で、市内における鎌倉時代の仏像としては出来がよく、保存状態も良好です。檜材の割矧造、像高は98.5センチメートルで、平成9年4月1日、有形文化財に指定。拝観は正月3が日と4月第1土曜日に限られています。(和田寺:072-849-6120)
大聖寺薬師堂内厨子 春日元町2-16-30
桃山時代製作の宮殿形厨子は、正面4尺・奥行1尺8寸、総漆塗で、軸部や軒回りには仏堂の格式ある方式を用いており、特に頭貫木鼻に施された猪目と2つの渦には、桃山的な線の力強さが認められます。平成9年4月1日、有形文化財に指定。
拝観要予約(大聖寺:072-858-1771)
銅造誕生釈迦仏立像 藤阪天神町5-1
明治20年代に牧野駅の東方、穂谷川右岸の台地上の「どんどん山」と呼ばれた茶畑で発見されました。付近にはかつて古代寺院九頭神廃寺が存在し、この像も古代寺院と関係するものと考えられます。ロウ型による鋳造と思われる白鳳時代の仏像です。平成9年4月1日、有形文化財に指定。
三之宮神社の湯釜 穂谷2-7-1
永禄元年(1558)の銘を持つ三脚付湯釜で、湯立神事に用いられたものと思われます。この湯釜が造られた頃、当地域には三之宮神社を中心とした惣村的自治組織がありました。この湯釜は、当時の様子をうかがう貴重な資料です。平成10年4月1日、有形文化財に指定。(三之宮神社:072-858-0740)
久修園院地球儀 楠葉中之芝2-46
元禄15年(1702)頃の作で、作者は宗覚律師です。張子製・手書(墨書)。紙製で直径20センチメートル。球面上に描かれている世界図の各大陸の位置や形状は、仏教的な解釈で配置されています。宗覚律師は、久修園院の中興の祖と言われ、宗教活動はもとより、宗教学、地理学、医学、天文学、絵画、工芸、音楽、武術などを極め、多才多能で後世に残した業績は大きく、天球儀とともに、その業績の一端に触れる貴重な資料です。平成14年4月1日、有形文化財に指定。
拝観要予約(久修園院:072-857-3969)
久修園院天球儀 楠葉中之芝2-46
元禄15年(1702)頃の作で、作者は宗覚律師です。球面に天球の星辰(星座)を銘記したもの。渾天儀とも呼ばれています。銅製。直径52センチメートル。その支柱(子午環)に「以天文博士保井算哲之図模作焉 老比丘宗覚正直自運錐鑽雕焉」と銘文が刻まれ、箱には「天球之図」という墨書があります。宗覚の宇宙への関心を示すものとして興味深く、その製作技法もさることながら、彼の天文学への造詣の深さを物語っています。平成14年4月1日、有形文化財に指定。
拝観要予約(久修園院:072-857-3969)
尊延寺大般若経 尊延寺6-11-1
本経は、文永8年〜11年(1271〜1274)、津田郷の領主的存在であった中原宗包が父母の十三回忌の追善のために、三之宮神社に奉納したものです。本資料は、鎌倉中期に摺写された書写経・版経で、全600帖のうち598帖が残っており、現在に至るまでほぼ全巻が原所有者の元に残されている例は珍しく、また、摺写された時代が判明する例としても貴重な資料です。平成14年4月1日、有形文化財に指定。(一般公開されていません)
附 尊延寺大般若経の唐櫃 尊延寺6-11-1
- 尊延寺大般若経を収納していた唐櫃(経櫃)で、年輪年代測定結果によって1050年頃までには製作されたものと考えられます。平成21年4月1日、有形文化財に指定。(一般公開されていません)
御殿山神社遷宮絵馬 渚本町12-55
御殿山神社の遷宮を描いた奉納額です。縦76センチメートルx横176.5センチメートル。御殿山神社は、江戸文政年間(1818〜1829)に渚院跡の観音寺境内に隣接して設けられた西粟倉神社が、明治初年の神仏分離令によって、明治2年(1869)、御殿山に社殿を造営し、同3年(1870)9月19日当地に遷宮し、御殿山神社と改称しました。極彩色の奉納額には、西粟倉神社から御殿山の新社殿への賑々しい遷宮の行列が描かれており、いかに盛大なものであったかが知ることができ、また、当時の建物構造が正確に描かれており貴重な資料です。平成14年4月1日、有形文化財に指定。
尊延寺木造不動明王立像 尊延寺6-11-1
寄木造。像高161.3センチメートル
制作年代は、12世紀前半(平安時代後期)と考えられ、中央の仏師による作例です。
後世の修理により、像の表面に荒れがみられますが、平安時代の本格的な不動像として注目されます。平成16年4月1日、有形文化財に指定。
(尊延寺:072-858-1444)
尊延寺木造四大明王像 尊延寺6-11-1
寄木造。像高は、 降三世明王立像155.1センチメートル、軍荼利明王立像160.0センチメートル、大威徳明王坐像92.7センチメートル、金剛夜叉明王立像157.0センチメートル。降三世明王立像・軍荼利明王立像は、平安期の像容を良く残しています。大威徳明王坐像・金剛夜叉明王立像は、一部は当初の財を残すと思われますが、大半は近世の後補作です。全体として四大明王のまとまりをよく残し、全国的にみても等身大の作例として極めて重要なものです。平成16年4月1日、有形文化財に指定。
(尊延寺:072-858-1444)
尊延寺木造地蔵菩薩立像 尊延寺6-11-1
一木造出。像高93.3センチメートル。奈良・室生村・中村区有の地蔵菩薩(重要文化財)や法隆寺に伝わる地蔵菩薩(国宝)に類似点がみられます。制作は、面貌の表現、体躯の量感などから10世紀(平安中期)と考えられます。平成16年4月1日、有形文化財に指定。
(尊延寺:072-858-1444)
交野天神社末社貴船神社本殿 楠葉丘2-9-1
府指定史跡継体天皇樟葉宮跡伝承地に建っています。間口1メートル余の小さなもので、一間社流造。本社本殿及び末社八幡神社本殿は、国の重要文化財に指定された室町時代の遺構です。建立年代は明らかでありませんが、面取角柱の大きさ、木鼻の絵様繰形、連三斗、優雅な曲線の高欄、猪目懸魚等から桃山時代に遡る遺構とみられます。規模の割に柱が太く、和様による水平感の強い社殿である。平成16年4月1日、有形文化財に指定。
旧田中家鋳物用具と製品一式 藤阪天神町5-1
- 旧田中家は、枚方上之町で代々鋳造を営んでいました。「旧田中家鋳物用具と製品一式」は、江戸時代から昭和40年(1965)頃に廃業するまでの田中家の鋳物業に関する資料群で、原材料・調整用具、施設関係用具、鋳造関係用具、製品までの合計506点から成ります。大阪府下の鋳造に関する有形民俗文化財資料としては、もっともよくまとまったもので、江戸時代の鋳物師による伝統的な鋳造技術である真土型法の特徴と推移を理解するために重要であるとともに、江戸時代から近代にかけての枚方市やその周辺の人々が使用していた鋳物製品の概要と特色を示す資料として貴重なものです。平成19年4月1日、有形文化財に指定。
安養寺木造宝冠釈迦如来坐像 南楠葉2-38-17
- 鎌倉期に禅宗とともに請来したのが宝冠釈迦如来像で、本像は頭部に金銅製の宝冠をいただき、定印を結ぶ高さ41.8cmの坐像です。小像ながら、バランスがよく、刀技のさえた仕上がりを示す優品で、宝冠、胸飾りは後世の補修です。鎌倉時代後期に制作され、宋様式をよく伝えています。平成21年4月1日、有形文化財に指定。(一般公開されていません)
三浦蘭阪関係資料 車塚2-1-1
- 三浦蘭阪は、医業に従事するかたわら、本草学や国学などの影響を受けて様々なものを蒐集しました。本資料は、著述書類、文書、書状類、彫刻、絵画類等に大別することができ、平安〜鎌倉時代の法隆寺文書や社家文書などの古文書を多く蒐集していることを特徴とし、点数は2716点に上ります。これらは、蘭阪の事跡を知る上の基本資料であり、三浦家伝来の一括資料としても価値があります。平成22年4月1日、有形文化財に指定。
今中家旧蔵文書 車塚2-1-1
- 今中家旧蔵文書は、河内国交野郡楠葉村南組(現在の枚方市南楠葉)の庄屋を勤めた今中家に伝来した古文書群です。中世から近代初頭までの3,238点を数え、そのうち20点もの中世文書を含んでいます。楠葉の自治に関する史料が多く、その内容も多岐にわたっており、枚方市の中世史、近世史の研究史上稀少かつ重要な史料群です。平成22年4月1日、有形文化財に指定。
史跡
鍵屋 堤町10-27
♪ここはどこじゃと船頭衆に問えばここは枚方鍵屋浦、ここは枚方鍵屋の浦よ綱も碇も手につかぬ、鍵屋浦には碇がいらぬ三味や太鼓で船とめる♪「淀川三十石船唄」に唄われる鍵屋は枚方宿を代表する船宿です。整備を行い、平成13年7月、市立枚方宿鍵屋資料館として、オープンしました。平成10年4月1日、史跡に指定。
枚方宿鍵屋資料館の案内はこちらへ。
九頭神廃寺 牧野本町1-210の一部
- 九頭神廃寺は北河内で最も早く建立された古代寺院のひとつとして、また高句麗系の軒丸瓦が出土することで古くから知られていましたが、開発の波にのまれほとんど宅地化されてしまっています。
昭和58年以降、その実態研究に取り組み、主要堂塔の一つである塔基壇やその下層にひろがる前身寺院(もしくは豪族居館)などの検出をみたほか、部分的ではありますが、東・西・北辺の区画溝などの外郭施設が検出されています。
寺院経営にかかわる付属寺院の検出は、地方寺院では初のことで、加えて、寺院地の北西角が確定されたことの意義も大きく、寺院地北西部外側で検出された宝幢(ほうどう)遺跡の存在も特筆すべきものです。平成19年4月1日、史跡に指定。
禁野本町遺跡 中宮北町50-107
奈良時代〜平安時代前期にかけての遺構群は広範囲で検出されるもので、大型掘立柱建物を含む掘立柱建物・井戸・道路などで構成され、本遺跡の主たる時期として位置づけられます。本遺跡は百済寺跡との位置関係や出土遺物の内容から、百済王氏と密接な関係を有していたものと考えられます。
百済寺の伽藍中軸線に続く南北道路とそれに交わる東西道路が検出され、その十字路(十字街)を境にして、北東・南東・北西・南西部分それぞれに性格の異なる遺跡群が検出され、計画性のあるまちづくりが行われていた状況が明らかとなりました。平成19年4月1日、史跡に指定。
光善寺(出口御坊跡) 出口2-8-13
出口は、文明7年(1475)本願寺第8世蓮如が建立した御坊を中心に発達した寺内町で、蓮如は光善寺を拠点に摂津・河内・和泉で布教活動を行いました。光善寺は広大な寺域と御堂・山門・太鼓楼・書院・庭園等の江戸時代の伽藍を残し、寺内町の核として風格を今に伝えています。伽藍には、17世紀の山門や数寄屋風書院等があり、天明2年(1782)の御堂、同7年の太鼓楼等があります。平成22年4月1日、有形文化財に指定。
その他の枚方市内の文化財についてお調べになりたい時は、「文化財検索システム」をご利用ください。
最終更新日:平成22年(2010年)8月27日
