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枚方市内の文化財

[2016年11月1日]

ID:2755

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市内の文化財

国指定・登録文化財

重要文化財

片埜神社本殿(建造物) 牧野阪2丁目21番15号

交野神社

片埜神社本殿は、残されている棟札によると、慶長7年(1602)豊臣秀頼が片桐且元を総奉行に再建したもので、三間社流造、檜皮葺で、細部にいたるまで桃山時代の華麗な様式をよく示しています。特に四面を飾る蟇股の彫刻に当時の特色を見ることができ、「竹に虎」、「芙蓉にせきれい」、「椿にひよどり」など、絵画的で精巧な彫刻がそろっていて見応えがあります。平成21年~23年に、檜皮葺屋根の葺替、彩色の塗装が行われ、朱漆塗に極彩色の壮麗な社殿がよみがえりました。大正6年4月5日に特別保護建造物に指定、昭和25年8月29日には文化財保護法による重要文化財に指定。

交野天神社本殿・交野天神社末社八幡神社本殿(建造物) 楠葉丘2丁目19番1号

交野天神社本殿、交野天神社末社八幡神社本殿

交野天神社本殿(写真左)は一間社流造、檜皮葺で、残されている棟札によると、応永9年(1402)の建築です。末社八幡神社本殿(写真右)も一間社流造、檜皮葺で、交野天神社本殿よりやや小ぶりですが、やはり応永頃の建築と考えられます。両者とも室町時代中期に遡る枚方市内の古建築としては最古のものです。大正6年4月5日に特別保護建造物に指定、昭和25年8月29日には文化財保護法による重要文化財に指定。

厳島神社末社春日神社本殿(建造物) 尊延寺5丁目9番11号

厳島神社末社本殿

厳島神社末社春日神社本殿は一間社流造、檜皮葺で、厳島神社旧本殿と伝えられています。建築年代は明らかではありませんが、交野天神社本殿と共通する様式も見られることから、室町時代中期に遡る遺構と考えられます。昭和53年5月31日、重要文化財に指定。

清泰寺 木造菩薩坐像(彫刻) 長尾元町1丁目11番10号

清泰寺木造普賢菩薩坐像・文殊菩薩坐像

像高は伝文殊菩薩坐像(写真右)30.1センチメートル、伝普賢菩薩坐像(写真左)31.4センチメートル。三尊像の脇侍として造られたとみられる一対の菩薩坐像で、平安時代前期の彫刻の特色が顕著にみられる優品です。平安時代前期の9世紀前半から半ば頃に製作されたとみられ、奈良国立博物館所蔵の国宝・薬師如来像に通じる作風から、同系の仏師の手になる作品と推定されます。平成28年8月17日、重要文化財に指定。現在は、京都国立博物館に寄託されています。

尊延寺 木造降三世軍荼利明王立像 尊延寺6丁目11番1号

尊延寺軍荼利明王

像高は降三世明王立像158.0センチメートル、軍荼利明王立像(写真)158.9センチメートル。平安時代後期(11世紀前半)の、中央の仏師の手になる等身大の明王像です。両者の作風は異なりますが、大きさや細部の特徴的な形式が一致することから、五大明王のうち2体が残ったものとみられます。特に軍荼利明王像は、この時代の作例として極めて優れたもので、左足を蹴上げる姿が特徴的です。平成28年8月17日、重要文化財に指定。見学ご希望の方は1週間前までに尊延寺にお問合せください。(尊延寺:072-858-6480)

特別史跡

百済寺跡 中宮西之町4340番

百済寺跡

特別史跡百済寺跡は、東大寺大仏造立に際し、天平21年(749)百済王敬福が陸奥国産出の金を献上した功により、翌年宮内卿兼河内守に任ぜられ、以後一族が中宮に移住した際に建立した、氏寺の跡と考えられています。平成17年度から再整備に伴う発掘調査によって、当時の最新技術を駆使して造営され、堂塔のほかにも築地塀によって区画された寺院の経営にかかわる施設が整然と配置され、中央の官寺と比較しても遜色のない寺院であったことが判りました。昭和27年3月29日に特別史跡に指定され、昭和42年には全国で初めて史跡公園として整備されました。

史跡

牧野車塚古墳 車塚1丁目369番ほか

牧野車塚古墳

穂谷川左岸の台地上に立地する前方後円墳で、全長107.5メートル、後円部径58メートル、前方部幅45メートルを測ります。主軸線をほぼ東西にとり、周溝をめぐらせ、西側から南側にかけて外堤があります。埋葬施設の構造や副葬品は不明ですが、出土遺物の特徴や墳丘の形状などから、築造時期は古墳時代前期中頃(4世紀後半)と考えられます。大正11年3月8日、史跡に指定、昭和55年2月19日に外堤南側および西側を追加指定。

禁野車塚古墳 宮之阪5丁目381番3ほか

禁野車塚古墳

天野川に臨む低位段丘に築かれた前方後円墳です。墳丘は二段築成で主軸線をほぼ東西にとり、全長120メートル、後円部径63メートル、前方部幅55メートルを測る前期古墳です。前方部高3.4メートル、後円部高9メートル。近年、測量調査が行われ、奈良県の箸墓古墳の墳形とよく似た特徴を有していることが判りました。築造時期は古墳時代前期前半(4世紀前半)と考えられます。昭和47年3月22日、史跡に指定。その後、発掘調査により墳丘の広がりを確認したため、平成19年7月26日に後円部南東部分を追加指定。

楠葉台場跡 楠葉中之芝2丁目

楠葉台場跡

楠葉台場は京都防衛のために江戸幕府により築造された河川台場です。設計の総責任者は勝海舟で、「稜堡式」という西洋式築城技術を採り入れ、慶応元年(1865)に完成しました。土塁と堀で囲まれた約3万8千平方メートルの台場は、3カ所の砲座や、番所・火薬庫を備える大規模な施設で、京街道を引き込んで関門としての機能を併せ持つなど、軍事施設と交通施設が同居する珍しい特徴を持っていました。平成23年2月7日、史跡に指定。

登録有形文化財

大阪歯科大学牧野学舎本館(建造物) 牧野本町1丁目4番4号

大阪歯科大学牧野学舎本館

昭和4年に建築、昭和37年に増築された、鉄筋コンクリート造3階建で、正面中央に塔を立ち上げ、左右に翼部を張り出したほぼ左右対称の建築構造です。各階に水切りを回して水平感を強めるとともに、西側に付けられたアルコーブの出窓によって落ち着いた優しい意匠となっており、大正から昭和初期のモダニズム建築の流れをくむ質の高い校舎建築です。阪神甲子園球場等の設計を手がけた今林彦太郎が設計しました。登録日は平成17年11月10日。

府指定文化財

有形文化財

安養寺石造露盤(建造物) 南楠葉2丁目38番17号

安養寺石造露盤

露盤は塔の屋頂に置いて雨仕舞の役目を果たす部材で、その上に宝珠を載せて屋根の装飾を兼ねました。この露盤は凝灰岩製で、風化して四隅の一角が欠けているものの原形をよく留めています。一辺110センチメートルの正方形で、中央ほぞ穴の周囲には八葉の複弁蓮華文が刻まれています。鎌倉時代以前の製作と考えられます。昭和45年2月20日、有形文化財に指定。

正俊寺石造十三重塔(建造物) 長尾宮前2丁目2番1号

正俊寺石造十三重塔

江戸時代の領主久貝家の墓所がある菩提寺で、慶安2年(1649)久貝正世が父因幡守正俊を弔うために創建しました。その際、久貝家領中野村(四條畷市)正法寺から本尊釈迦如来坐像と十三重塔を移しました。石造十三重塔は高さ約4.36メートルで、風化が激しいものの、嘉暦2年(1327)の紀年銘が刻まれ、鎌倉時代の造立当初の姿をよく留めています。昭和45年2月20日、有形文化財に指定。

片埜神社東門・南門・石造灯籠(建造物・工芸品) 牧野阪2丁目21番15号

片埜神社東門

東門(写真)は、元は棟門でしたが後世に改造され、現在では小型の四脚門となっています。建築年代は明らかでありませんが、構造形式などから室町時代後期のものと見られます。南門は慶長7年の本社社殿再興に続いて再建された四脚門で、近世初頭における建立年代の明らかな数少ない遺構です。石造灯籠は、様式上鎌倉時代の遺品と見られています。東門は昭和47年3月31日に、南門は昭和52年に3月31日に、灯籠は昭和45年2月20日に、それぞれ有形文化財に指定。

田中家住宅主屋・鋳物工場(建造物) 藤阪天神町5番1号

旧田中家主屋・鋳物工場

田中家は、河内鋳物師として代々鋳造業を営んできました。枚方市は、枚方上之町にあった鋳物工場と主屋の寄贈をうけ、藤阪に移築復原し旧田中家鋳物民俗資料館として開館しました。主屋は桁行8間・梁行4間半、切妻造本瓦葺で、鋳物師という火を扱う職業の性格上、建築当初から瓦葺でした。工場は桁行12間・梁行5間半、寄棟造本瓦葺で、近世の鋳物工場として全国に例を見ない珍しい建築遺構です。主屋の建築年代は元文4年(1739)を下限とし、工場もあまり隔たりのない時期の建築と考えられます。工場は昭和48年3月30日に、主屋は昭和50年8月27日に有形文化財に指定。

釈尊寺木造釈迦如来立像(彫刻) 釈尊寺町1番10号

釈尊寺木造釈迦如来立像

この仏像は、京都嵯峨の清涼寺の本尊釈迦如来立像とよく似た清涼寺式の秀作の一つです。清涼寺の釈迦如来立像は、永延元年(987)東大寺の僧ちょう然が宋から請来したもので、鎌倉時代に多くの模刻像が造られました。釈尊寺の釈迦如来像は、檜材の寄木造で、像高167センチメートル・総高242センチメートルを測り、鎌倉時代初期の作品と考えられます。昭和45年12月7日、有形文化財に指定。

百済寺遺跡出土せん仏(考古資料) 藤阪天神町5番1号

百済寺遺跡出土せん仏

せん仏とは仏の姿をかたどった土製のタイル状のもので、古代寺院のお堂の内部壁面を飾ったり、礼拝に用いられたと考えられています。
平成13年に百済寺跡の西隣で実施した発掘調査で見つかったせん仏は、図様から奈良時代に属するものと考えられ、当時の百済寺における信仰のあり方をうかがわせる貴重な資料です。ひとつの遺跡から60点を超える多量のせん仏が出土した例は全国でも珍しいです。平成18年1月20日、有形文化財に指定。

史跡

継体天皇樟葉宮跡伝承地 楠葉丘2丁目19番1号

継体天皇樟葉の宮跡伝承地

『日本書紀』には、越前三国にいた男大迹王(おおどのおう)が樟葉で即位して継体天皇となり、5年にわたり宮を営んだと記しています。樟葉宮跡の位置は不明ですが、交野天神社の社叢に囲まれた末社貴船神社の鎮座する小丘付近が仮の推定地とされ、小丘の麓に石碑が立っています。昭和46年3月31日、史跡に指定。

伝王仁墓 藤阪東町2丁目2220番2ほか

伝王仁墓

藤坂の山中におに墓と呼ばれる自然石があり、歯痛やおこりに霊験があると言われていました。元和2年(1616)、禁野村和田寺の道俊は王仁の子孫と称して「王仁墳廟来朝記」を著し、藤坂村字御墓谷のおに墓は王仁墓の訛ったものと記しました。享保16年(1731)京都の儒者並川誠所は道俊の書物をもとに、この石を王仁墓として崇敬するよう当地の領主久貝正順に進言し、石の後方に墓碑が立てられました。こうしておに墓は王仁墓に変わりました。昭和13年顕彰規程による史跡に指定、平成5年3月31日には文化財保護条例による史跡に指定。

田口山遺跡 田口山2丁目2010番3

田口山遺跡は弥生時代中期後半に成立した高地性集落で、明治時代に磨製石剣が出土したほか、昭和13年と15年に発掘調査され竪穴住居跡が見つかり、土器や石器が出土しました。竪穴住居の発見例としては府内でも早い事例であり、かつ、土器と石器の共伴例は大変貴重であるため、昭和18年8月23日、顕彰規程による史跡に指定、平成25年6月14日には文化財保護条例による史跡に指定。以後も広い範囲で何度も発掘調査がされており、これまで40棟以上の竪穴住居跡や土器棺墓群が見つかっています。

天然記念物

枚方田中邸のむく 枚方上之町123番4

枚方田中邸のむく

ニレ科の落葉喬木で、樹高は21メートル、幹周は5.4メートルで樹齢約600年の巨樹です。鋳物師あるところ必ずむくの木ありと言われるほど、むくの木と鋳物師は関わりが深く、ざらざらとした葉が鋳物製品の研磨に用いられたと伝えられ、河内鋳物師田中邸のむくは、枚方金屋のシンボルでした。これほどのむくの巨木は府内でも珍しいものです。昭和45年2月20日、天然記念物に指定。

光善寺のさいかち 出口2丁目8番13号

光善寺のさいかち

文明7年(1475)蓮如は出口に到り、付近の人々に説法をしました。池に住む大蛇がその説法を聴き功徳を得たので池を蓮如に献上し、近くのさいかちの木から昇天したと伝えられています。その後、池は埋め立てられ光善寺が建立されました。さいかちの木は幹周2.2メートル、樹高約12メートル、樹齢200~250年と推定されています。昭和50年3月31日、天然記念物に指定。

市指定文化財

有形文化財

廃渚院観音寺鐘楼・梵鐘(建造物・工芸品) 渚元町9番23号

廃渚院観音寺鐘楼・梵鐘

惟喬親王の別荘であった渚院の跡に建てられたとされる観音寺は、明治3年(1870)廃寺となりましたが、鐘楼と梵鐘が残っています。鐘楼は方1間吹き放ちで、棟木に残る棟札から寛政8年(1796)に建立されたことが判ります。梵鐘は河内国惣官鋳物師枚方田中家の作で、鐘楼と同じく寛政8年の鋳造です。田中家鋳造の梵鐘としては、市内に残る唯一のものです。平成8年4月1日、有形文化財に指定。

村野村高札場(建造物) 村野本町10番62号先

村野村高札場

江戸時代の公的施設として村の中心地に設けられ、キリシタンや強訴徒党の禁令や諸々の法度が板札に墨書され掲示されていました。明治に入り、法令の布達方法としてふさわしくないと考えられ全国的に撤去されましたが、当高札場は撤去されずに残りました。府内でも珍しく、市内では唯一現存するものです。平成8年4月1日、有形文化財に指定。

鍵屋主屋(建造物) 堤町10番27号

鍵屋主屋

京街道に面し枚方宿を代表する町家で、19世紀初頭に建築されたと推定されます。3間続きの客間と広いヒロシキがあり、客人が酒や団子等を供しながら船を待つのに使ったと思われます。裏手は淀川に面しており、トオリニワを抜けると船着き場に出ることができました。また、手前にカマヤ(炊事場)、奥にダイドコロがあります。カマヤは、一般には家の裏手にあり、このような例は少なく、煮売家などの商売をしていた町家に限られます。解体修理工事を行い、平成13年7月、市立枚方宿鍵屋資料館として開館しました。平成9年4月1日、有形文化財に指定。

大聖寺薬師堂内厨子(建造物) 春日元町2丁目16番30号

大聖寺薬師堂厨子

桃山時代製作の宮殿形厨子は、正面4尺・奥行1尺8寸、総漆塗で、軸部や軒回りには仏堂の格式ある方式を用いており、特に頭貫木鼻に施された猪目と2つの渦には、桃山的な線の力強さが認められます。平成9年4月1日、有形文化財に指定。(一般公開はされていません)

交野天神社末社貴船神社本殿(建造物) 楠葉丘2丁目19番1号

交野天神社末社貴船神社本殿

交野天神社の境内東北の丘に建つ、桁行1メートル余の小さな一間社流造です。建立年代は明らかでありませんが、面取角柱の面の大きさ、木鼻の絵様繰形、連三斗、優雅な曲線の高欄、猪目懸魚等から桃山時代に遡る遺構とみられます。規模の割に柱が太く、和様による水平感の強い社殿です。平成16年4月1日、有形文化財に指定。

春日神社本殿・春日神社末社若宮八幡宮本殿(建造物) 津田元町1丁目10番1号

春日神社本殿と末社若宮八幡宮本殿

春日神社は、市域東部の中心的村落であった津田の氏神です。春日神社本殿(写真右)は奈良春日大社の旧本殿を移築した「春日移し」、末社若宮八幡宮本殿(写真左)は奈良春日大社末社三十八所神社の旧社殿を移築した「三十八所移し」です。「春日移し」は全国で30棟を数える一方、「三十八所移し」は、奈良県内に7棟、大阪府内でこの1棟しか確認されていません。両社殿とも、春日大社所蔵の「河州交野郡津田村春日遷宮記」により、明和3年(1766)の建立で、天明6年(1786)に譲り受けたことが判ります。平成23年4月1日、有形文化財に指定。

淨念寺木造不動明王立像(彫刻) 三矢町7番21号

淨念寺木造不動明王立像

元は万年寺所蔵の仏像で、明治3年(1870)万年寺が廃寺になったため、鐘楼などとともに淨念寺に移されました。檜材の寄木造で、像高は96.3センチメートルを測り、鎌倉時代前期の製作と考えられます。平成9年4月1日、有形文化財に指定。見学は要予約。(淨念寺:072-846-3393)

和田寺木造薬師如来立像(彫刻) 禁野本町2丁目7番43号

和田寺木造薬師如来立像

鎌倉時代の製作で、市内における鎌倉時代の仏像としては秀作で、保存状態も良好です。檜材の割矧造、像高は98.5センチメートルを測ります。平成9年4月1日、有形文化財に指定。拝観は正月3カ日と4月第1土曜日に限られています。(和田寺:072-849-6120)

尊延寺木造不動明王立像(彫刻) 尊延寺6丁目11番1号

尊延寺不動明王

制作年代は、12世紀前半(平安時代後期)と考えられ、京都の仏師による作例です。寄木造で、像高161.3センチメートルを測ります。後世の修理により像の表面は荒れていますが、平安時代の本格的な不動明王像として注目されます。平成16年4月1日、有形文化財に指定。見学ご希望の方は1週間前までに尊延寺にお問合せください。(尊延寺:072-858-6480)

尊延寺木造四大明王像のうち大威徳明王坐像・金剛夜叉明王立像(彫刻) 尊延寺6丁目11番1号

大威徳明王立像

像高は大威徳明王坐像(写真)92.7センチメートル、金剛夜叉明王立像157.0センチメートル。四大明王像のうち、大威徳明王坐像・金剛夜叉明王立像は、当初の材を一部残すと思われますが、大半は近世の後補作です。重要文化財に指定された降三世明王立像・軍荼利明王立像と合わせて、全体として四大明王のまとまりをよく残し、全国的にも等身大の作例として重要なものです。平成16年4月1日、有形文化財に指定。見学ご希望の方は1週間前までに尊延寺にお問合せください。(尊延寺:072-858-6480)

尊延寺木造地蔵菩薩立像(彫刻) 尊延寺6丁目11番1号

尊延寺地蔵菩薩

一木造で、像高93.3センチメートルを測ります。奈良県室生村中村区安産寺の地蔵菩薩(重要文化財)や法隆寺に伝わる地蔵菩薩(国宝)と類似点がみられます。面貌の表現や体躯の量感などから10世紀(平安時代中期)の制作と考えられます。平成16年4月1日、有形文化財に指定。見学ご希望の方は1週間前までに尊延寺にお問合せください。(尊延寺:072-858-6480)

安養寺木造宝冠釈迦如来坐像(彫刻) 南楠葉2丁目38番17号

安養寺木造宝冠釈迦如来坐像

鎌倉時代に禅宗とともに請来したのが宝冠釈迦如来像で、本像は頭部に金銅製の宝冠をいただき、定印を結ぶ高さ41.8センチメートルの坐像です。小像ながら、バランスがよく、刀技の冴えた仕上がりを示す優品で、宝冠・胸飾りは後世の補修です。鎌倉時代後期に制作され、宋様式をよく伝えています。平成21年4月1日、有形文化財に指定。(一般公開はされていません)

久修園院地球儀(工芸品) 楠葉中之芝2丁目46番

久修おん院の地球儀

元禄15年(1702)頃の作で、作者は宗覚律師です。張子製・手書(墨書)。紙製で直径20センチメートルを測ります。球面上に描かれている世界図の各大陸の位置や形状は、仏教的な解釈で配置されています。宗覚律師は、久修園院の中興の祖と言われ、宗教活動はもとより、宗教学、地理学、医学、天文学、絵画、工芸、音楽、武術などを究め、多才多能で後世に残した業績は大きく、天球儀とともに、その業績の一端に触れる貴重な資料です。平成14年4月1日、有形文化財に指定。見学は要予約。(久修園院:072-857-3969)

久修園院天球儀(工芸品) 楠葉中之芝2丁目46番

久修おん院天球儀

元禄15年(1702)頃の作で、作者は宗覚律師です。球面に天球の星辰(星座)を銘記したもので、天儀とも呼ばれています。銅製で直径52センチメートルを測ります。その支柱(子午環)に「以天文博士保井算哲之図模作焉 老比丘宗覚正直自運錐鑽雕焉」と銘文が刻まれ、箱には「天球之図」という墨書があります。宗覚の宇宙への関心を示すものとして興味深く、その製作技法もさることながら、彼の天文学への造詣の深さを物語っています。平成14年4月1日、有形文化財に指定。見学は要予約。(久修園院:072-857-3969)

尊延寺大般若経(書跡) 尊延寺6丁目11番1号

尊延寺大般若経

経は、文永8年~11年(1271~1274)、津田郷の領主的存在であった中原宗包が父母の十三回忌の追善のために、三之宮神社に奉納したものです。本資料は、鎌倉時代中期に摺写された書写経・版経で、全600帖のうち598帖が残っており、現在に至るまでほぼ全巻が原所有者の元に残されている例は珍しく、また、摺写された時代が判明する例としても貴重な資料です。平成14年4月1日、有形文化財に指定。(一般公開はされていません)

附 尊延寺大般若経の唐櫃(工芸品) 尊延寺6丁目11番1号

尊延寺大般若経の唐櫃

尊延寺大般若経を収納していた唐櫃(経櫃)で、当初、3合あったと考えられますが、2合しか残っていません。2合とも杉材で、寸法もほぼ同じ縦約51センチメートル、横約70センチメートル、高さ約63センチメートルを測ります。年輪年代測定結果によって1050年頃までに製作されたと考えられます。平成21年4月1日、有形文化財に指定。(一般公開はされていません)

九頭神廃寺出土銅造誕生釈迦仏立像(考古資料) 個人蔵

銅造誕生釈迦仏立像

明治20年代に牧野駅の東方、穂谷川右岸の台地上の「どんどん山」と呼ばれた茶畑で発見されました。付近にはかつて古代寺院(九頭神廃寺)が存在し、この像も古代寺院と関係するものと考えられます。ロウ型による鋳造と思われる白鳳時代の仏像です。平成9年4月1日、有形文化財に指定。

三浦蘭阪関係資料(歴史資料) 車塚2丁目1番1号

三浦蘭阪関係資料

三浦蘭阪は、医業に従事するかたわら、本草学や国学などの影響を受けてさまざまなものを蒐集しました。本資料は、著述書類、文書、書状類、彫刻、絵画類等に大別することができ、平安時代から鎌倉時代の法隆寺文書や社家文書などの古文書を多く蒐集していることを特徴とし、点数は2,716点に上ります。これらは、蘭阪の事跡を知る上で基本資料であり、三浦家伝来の一括資料としても価値があります。平成22年4月1日、有形文化財に指定。

片岡家文書(歴史資料) 車塚2丁目1番1号

片岡家文書

片岡家文書は、招提村の片岡家に伝来した文書群です。招提は戦国時代に成立した寺内町で、片岡家はその草創に関与し、江戸時代には庄屋を勤めました。7,549点を数える文書群には、約1,900点の村方文書のほか、佐久間信盛や松花堂昭乗など近世前期の著名人が発給した書状等の蒐集資料約100点などがあります。招提の歴史をはじめ、豊臣家の地方支配の一端、村役人としての動向など、枚方市の歴史解明に欠くことのできない貴重な文書群です。平成23年9月1日、有形文化財に指定。

今中家旧蔵文書(古文書) 車塚2丁目1番1号

今中家旧蔵文書

今中家旧蔵文書は、河内国交野郡楠葉村南組(現在の枚方市南楠葉)の庄屋を勤めた今中家に伝来した古文書群です。中世から近代初頭までの3,238点を数え、そのうち20点が中世文書です。楠葉の自治に関する史料が多く、その内容も多岐にわたっており、枚方市の中世史・近世史の研究上稀少かつ重要な史料群です。平成22年4月1日、有形文化財に指定。

民俗文化財

意賀美神社の算額(有形民俗文化財) 枚方上之町1番12号

おかみ神社の算額

和算家(江戸時代の数学者や数学愛好家)が数学の問題や解答を書いて神社などに奉納したものが算額で、意賀美神社の算額は摂津麻田藩の岩田清庸が文久元年(1861)に奉納したものです。問題は3問あり、清庸は病に罹り枚方宿内で養生し、神の加護により回復したので感謝の意をこめて算図一編を奉納したと記しています。平成8年4月1日、民俗文化財に指定。見学は要予約。(意賀美神社:072-841-2790)

三之宮神社の湯釜(有形民俗文化財) 穂谷2丁目7番1号

三之宮神社湯釜

永禄元年(1558)の銘を持つ三脚付湯釜で、湯立神事に用いられたものと思われます。この湯釜が造られた頃、当地域には三之宮神社を中心とした惣村的自治組織がありました。この湯釜は、当時の様子をうかがう貴重な資料です。平成10年4月1日、民俗文化財に指定。(三之宮神社:072-858-0740)

御殿山神社遷宮絵馬(有形民俗文化財) 渚本町12番55号

御殿山神社絵馬

御殿山神社の遷宮を描いた奉納額です。縦76センチメートル、横176.5センチメートルを測ります。御殿山神社は、渚院跡の観音寺境内に隣接して文政年間(1818~1829)に設けられた西粟倉神社が、明治初年の神仏分離令によって、明治2年(1869)、御殿山に社殿を造営し、同3年9月19日当地に遷宮、御殿山神社と改称しました。極彩色の奉納額には、西粟倉神社から御殿山の新社殿への賑々しい遷宮の行列が描かれており、また、当時の建物構造が正確に描かれている貴重な資料です。平成14年4月1日、民俗文化財に指定。

旧田中家鋳物用具と製品一式(有形民俗文化財) 藤阪天神町5番1号

鋳型

旧田中家は、枚方上之町で代々鋳造業を営んでいました。「旧田中家鋳物用具と製品一式」は、江戸時代から昭和40年(1965)頃に廃業するまでの田中家の鋳物業に関する資料群で、原材料・調整用具、施設関係用具、鋳造関係用具、製品までの合計506点からなります。大阪府内の鋳造に関する有形民俗文化財資料としては、もっともよくまとまったもので、江戸時代の鋳物師による伝統的な鋳造技術である真土型法の特徴と推移を理解するために重要であるとともに、近世から近代にかけての枚方市やその周辺の人々が使用していた鋳物製品の概要と特色を示す資料として貴重なものです。平成19年4月1日、民俗文化財に指定。

史跡

鍵屋 堤町10番27号

鍵屋

♪ここはどこじゃと船頭衆に問えばここは枚方鍵屋浦、ここは枚方鍵屋の浦よ綱も碇も手につかぬ、鍵屋浦には碇がいらぬ三味や太鼓で船とめる♪「淀川三十石船唄」に唄われる鍵屋は枚方宿を代表する船宿です。平成13年7月、市立枚方宿鍵屋資料館として開館しました。平成10年4月1日、史跡に指定。

九頭神廃寺 牧野本町1丁目210番の一部

九頭神遺跡発掘現場

九頭神廃寺は北河内で最も早く建立された古代寺院の一つとして、また高句麗系の軒丸瓦が出土することで古くから知られていましたが、開発の波にのまれほとんど宅地化されてしまっています。
昭和58年以降、その実態調査に取り組み、主要堂塔の一つである塔基壇やその下層にひろがる前身寺院(もしくは豪族居館)などの検出をみたほか、部分的ではありますが、東・西・北辺の寺院を区画すると考えられる溝などが確認されています。また、寺院経営にかかわる付属院地の発見は、地方寺院では例が少なく、加えて、寺院地の北西角が確定されたことの意義も大きく、寺院地北西部外側で検出された宝幢遺構の存在も特筆すべきものです。平成19年4月1日、史跡に指定。

禁野本町遺跡 中宮北町50番107、中宮北町2番6南東

禁野本町遺跡

奈良時代から平安時代前期にかけての遺構群として、大型掘立柱建物を含む掘立柱建物・井戸・道路などの遺構が広範囲に見つかっています。本遺跡は百済寺跡との位置関係や出土遺物の内容から、百済王氏と密接な関係を有していたものと考えられます。
百済寺跡の伽藍中軸線に続く南北道路とそれに交わる東西道路が検出され、その十字路(十字街)を境にして、北東・南東・北西・南西部分それぞれに性格の異なる遺構群が検出され、計画性のあるまちづくりが行われていた状況が明らかとなりました。平成19年4月1日、史跡に指定。

光善寺(出口御坊跡) 出口2丁目8番13号

光善寺(出口御坊跡)

出口は、文明7年(1475)本願寺第8世蓮如が建立した御坊を中心に発達した寺内町で、蓮如は御坊(のちの光善寺)を拠点に摂津・河内・和泉で布教活動を行いました。光善寺は広大な寺域と御堂・山門・太鼓楼・書院・庭園等の江戸時代の伽藍配置を残し、寺内町の核として風格を今に伝えています。17世紀に遡る山門や数寄屋風書院等があり、天明2年(1782)の御堂、同7年の太鼓楼等があります。平成22年4月1日、史跡に指定。

その他

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